「獺祭」と世界的三つ星シェフは、なぜパリで“居酒屋”に挑戦したのか。


2024年秋、パリに突如オープンした「イザカヤ・ダッサイ」。仕掛け人は、世界で15のミシュラン星を誇るモダンフレンチの巨匠ヤニック・アレノと「獺祭」の桜井博志氏。なぜ今、三ツ星シェフが“居酒屋”を? その背景には、日本酒を単なる飲み物としてではなく、文化として伝えたいという共鳴があった。そんな思いに呼応するかのように2024年12月には日本酒がユネスコ無形文化遺産に登録される。「獺祭」の蔵を訪問したアレノ氏と桜井氏に、なぜ今居酒屋に挑戦したのか、世界の中の日本酒はどんな位置にあるのか、聞いてみた。

世界のトップシェフも惹かれた“日本酒の文化”

ここ数年、海外で日本の“酒文化”に対する注目が高まっている。
といっても“日本酒”という酒そのものの認知度ではない。その点でいえばすでに世界の多くの人がSAKEが何を指すかは知っているだろう。注目されているのは、“酒”が生まれるまでの技術と、酒にまつわる文化だ。

象徴する出来事として、2024年12月、日本酒、焼酎などの「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことは記憶に新しい。

獺祭の麹室。二つのフロアを使って麹づくりを行う。

登録理由は、麹菌を使って酒を醸すという独自の技術、酒の背景にある文化的意義から。なかでも1000年の時を超えて継承されてきた日本酒造りについて、海外の報道機関はこぞってニュースにした。

海外のトップシェフにも、そんな日本酒の“文化”に注目している人物がいる。パリで現在、世界14軒のレストランで合計15個のミシュラン・スターを保持し、フランス国内で唯一、三つ星を同時に2軒で成功させているモダンフレンチの巨匠、ヤニック・アレノ氏だ。

桜井氏の自宅で利酒をするアレノ氏。

アレノ氏は大胆なソースの再構築を始め、フランス料理に革新をもたらし続ける先駆者として、その存在感は際立っている。
彼が近年自身の店として手掛けているのが、フランス料理の枠を超えた自身の視点を通した“日本料理”の店だ。

フランス人シェフが日本料理に挑戦する理由

2020年代に入り、ヤニック氏は次々と寿司屋や居酒屋を開業。2024年10月には、“逆輸入”的な形で自身にとって3軒目の寿司店「鮨 ラビス 大阪 ヤニック・アレノ」をオープンさせた。

なぜ、フランス料理のシェフが日本料理を次々にオープンさせるのか。それは、初めて来日したときに味わった鮨や居酒屋といった日本の食文化に魅了されたことがきっかけだったと話す。以降、40回以上の来日において得た経験は、自身の料理や美食へのアプローチにも深く影響を及ぼした。その結果、日本の文化を自分なりに表現してみたかったのだという。

2024年開業したフォーシーズンズホテル大阪に逆輸入の形で誕生した「鮨 ラビス 大阪 ヤニック・アレノ」。

アレノ氏が最初にオープンした日本料理店がパリの「ラビス」だ。
ここはフランス料理の現代的な感性と、日本の熟練した寿司職人が受け継いできた伝統技術が融合する、美食のカウンターである。たとえば、大トロのタルタルにマグロの脂を使ったマヨネーズを添えたり、シャリのクリームソースを牡蠣に合わせたりといった、アレノ氏ならではの技法が随所に施されている。しかし、それらは決して創作料理ではなく、日本料理の基本をきちんと踏まえた上での“尊重と再構築”といえるものだ。

現在「ラビス」は、パリ、モナコ、そして大阪の3都市で展開されているが、続いて彼が手がけたのが、自身初となる居酒屋業態「イザカヤ・ダッサイ」だった。2024年秋、パリでオープンしたこの店には、寿司とは異なるアプローチでの“日本酒文化の再発見”がある。

「鮨 ラビス 大阪 ヤニック・アレノ」の料理。つまみはアレノ氏のモダンフレンチのエッセンスを感じる創意が全面に出ているが、鮨は江戸前を基本に、小気味いい「ひねり」が随所に顔を出す。

「最高の酒とともに」──獺祭へのラブコール

このプロジェクトを支えるのが、日本酒「獺祭」を手がける旭酒造の桜井博志氏。獺祭のフランスでの展開を担っていた安田氏に、アレノ氏から「日本の居酒屋を『獺祭』と一緒にやりたい」という熱い申し出が届いたことから始まった。

アレノ氏が居酒屋に興味をもったのは、日本酒を中心とした食の文化があればこそ。パリの店をオープンするにあたり「日本酒」は店の根幹を支えるものにほかならなかった。
「フランスでは長い間、日本酒は一部の愛好家に限られた存在でしたが、最近では特に若い世代を中心にその関心が高まっていると感じます。 彼らもまた、私と同じように日本の文化や職人技に魅せられているのでしょう」とアレノ氏は話す。

岩国・錦帯橋の前でアレノ氏と桜井氏。

アレノ氏は、居酒屋を開業するにあたり、なぜ、「獺祭」と組みたかったのかー。

その真意をアレノ氏に聞くと、「一番いいものを届けたかった。それだけです。」と即答。
「『獺祭』は、日本酒のなかでも非常にエレガントで、どんなシーンでも楽しむことができます。『獺祭』は、日本の職人技の結晶ともいえる存在、日本酒の最高峰だと思った。だから居酒屋をやろうと決めた時に『獺祭』とともに作り上げたいと感じたのです」と振り返る。

そんなアレノ氏からの熱いラブコールを、旭酒造の会長、桜井博志氏は迷わず快諾した。

おりしも、2018年にジョエル・ロブション氏とともにパリで立ち上げた「Dassaï Joël Robuchon」が、ロブションの逝去により閉店していたばかりの頃のこと。アレノ氏からの申し出は、その縁が場所を変え、時を越えて、再び動き出すような感覚を桜井氏にもたらした。

初めての蔵見学に興味がつきないアレノ氏。

アレノ氏は日本酒をもっと理解しようと今年の3月末に獺祭の蔵を訪れ、日本酒の醸造過程を見学した。
獺祭は世界で“高級日本酒”という分野を牽引してきた存在だ。特にアメリカの日本酒マーケットのなかでも「獺祭」は突出して認知度が高い。2022年のアメリカへの日本酒輸出総量の15%を「獺祭」が占めているという実績からも、その人気の高さがうかがえるだろう。2023年にはニューヨークに自社の酒蔵を作ったことでも話題となった。

全世界での消費量を考えればもはや“酒蔵”という言葉よりも“企業”という言葉のほうがしっくりくるように思う。しかし工場を拡張してもなお、人の手と目の感覚で醸す工程は変わらない。

酒造りとガストロノミーが交わる新しい世界

飲み比べることで、さまざまな造りの違いを感じたというアレノ氏。

蔵を見学したアレノ氏は、「正直、こんなにも人の手が中心になっているとは思いませんでした。すべての工程に、精密さと集中が宿っている。素材への敬意、そして“最高”を求める姿勢……。それは、まさに私が厨房で求めている哲学とまったく同じものでした」と獺祭と自らのヴィジョンが同じ方向に向いていることを改めて確認した。

「イザカヤ・ダッサイは、デザインをはじめ、より庶民的で伝統的な日本の料理文化を象徴するような店にしたいと考えました」とアレノ氏は語る。店内には木材や和紙といった自然素材が使われ、温かみのある照明が静けさを演出する。提供されるのは、唐揚げやブリのポン酢和えなど、日本ではおなじみの料理だが、それをいかにフランスの感覚に溶け込ませるかが、アレノ氏の腕の見せどころとなっている。

パリに店を構える「イザカヤ・ダッサイ」

「この店を通じて、より多くの人々に日本文化の豊かさを紹介し、その魅力をフランスで広く伝えていきたいと考えています」とアレノ氏。料理というツールを使って文化の架け橋を築きたいのだと話す。
そんなアレノ氏のことを櫻井氏は「感性がとてもフレッシュ。今の若いお客様の感覚をずばっと掴んでいると思います」と分析する。

実際、2024年秋にオープンしたパリの「イザカヤ・ダッサイ」は、開業後一年弱が経つが人気は上々だ。
「ニューヨークの高級和食店での日本酒需要は少し翳りが見えてきたように思います。しかし、パリにおける日本酒の商圏は、まだまだ大きな可能性がある」と桜井氏。

革新的な日本酒造りに挑戦し続ける獺祭。写真左は日本で初めての販売となるアメリカ産山田錦を使用した最高級の「DASSAI Blue Beyond」。青いSUS製の獺祭用特注チタンボトルに冷凍状態で保管し、新鮮な状態で届ける。写真右/「獺祭 挑む」は2019年より開催している「最高を超える山田錦プロジェクト」のコンテストで選ばれた酒米で作っている。

そんな氏に、「ユネスコの無形文化遺産にも認定されましたしね」と声をかけると、表情を引き締めてこう答えてくれた。

「ユネスコの文化遺産に認定されたことで日本酒が広まっていくとは考えていません。私たちは、自分たちが造る酒を飲んでいただいて『おいしい』と思っていただくということを積み重ねていくしかないんです。それは日本でもアメリカでもヨーロッパでも、世界のどこでも変わりません。マーケティングで上手に売り込んでいくということではなく、地道に飲んでいただいておいしいという経験を積んでいくしかないと思います」

実際、アレノ氏がここまで日本酒を好きになったのは、30年前に初めて来日し、当時の「すきやばし次郎よこはま店」で鮨と酒を嗜み、その時の強烈な体験からだ。

日本酒が真に世界中の人に浸透するには、ただのブームではなく“文化”として海外に伝わることが必要不可欠。アレノ氏と桜井氏の「イザカヤ・ダッサイ」は、従来の居酒屋としてではなく、ガストロノミーと日本酒が交わる新しい世界を通じ、 “酒のある日本文化“を独自に伝えていく。

L’IZAKAYA DASSAI par Yannick Alléno
53-57 Rue de Grenelle, 75007 Paris
https://www.yannick-alleno.com/en/les-etablissements-du-groupe/lizakaya-dassai

Text: Misa Yamaji

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