「一流」と呼ばれる料理人ほど、生産者との交流を大切にしている。彼らはなぜ食材だけでなく、その生き方にまで惹かれるのだろう。その理由は、生産者もまた、料理人に負けない熱意とプライドを持ち、厳しいルールを自分に課しているからだ。生産者の高い技術力やこだわりが、料理にも大きな影響を与えている。
今治市街地から車で30分ほどの宮窪漁港。4代目という漁師の藤本純一さんは、瀬戸内海に面したこの小さな漁港から船を出して、定置網漁を続けている。取引先のシェフたちは、「藤本さんの魚は最高」と太鼓判を押し、ことに鯛、真名鰹、鰆などは天下一品という。理由はていねいな「神経締め」にある。ひとくちに神経締めといっても、そのやり方はいろいろ。魚をバタつかせてストレスを与えたり、中途半端な血抜きだと、良質な魚も台無しになる。
獲った魚は生け簀で落ち着かせてから速やかにすくい、頭部を一撃してできる限り苦痛を与えずに締める。魚は「死んだ」信号が体内を巡ると血がかたまり、腐敗へと向かう。しかし、脳死状態にしてこの信号を遮断すると、その後10分ぐらいは心臓が動いているから、その間に流水で血を抜く。こうすることで臭みのない旨味と鮮度が保てるのだ。「生食でおいしいのは、届いて10日くらいまで。でも、真名鰹は、自分で試してみたら80日くらいはおいしく食べられました」と藤本さん。「中には、『藤本さんの魚はいつ腐るんだろう』と、実験するシェフもいるらしいですよ」と笑う。
この人ならではの「オリジナリティ」とは何なのだろう。「漁は楽しいし、魚を食べるのも大好き。毎日が幸せ」と言う。幼い頃から家業を手伝い、35歳になった今では、網にかかった魚を見た瞬間に明確なランク付けができる。「100点満点の魚は網の中で特別なオーラを放っている。『この魚はあの店のシェフの料理にふさわしい』と瞬時にシェフの顔までが浮かびます」。
朝と昼、1日2回の漁をこなし、その合間に魚の処理をして出荷。
「1日16〜18時間は働いている。大荒れの海にも出るしね」と言う。なぜシェフが求める魚や料理に合う魚が判別できるのか。
「時には10日ほどまとまった休みをとって、取引先のシェフの料理を食べに行くようにしている。1日にランチ1回、ディナー2回は軽い」
そこで調理された「自分の」魚料理を食べられることも仕事の原動力になる。若いシェフの魚料理に、「いまひとつだなぁ」と感じればアドバイスもする。「聞かれれば何でも教えます」と、熱い。
そんな藤本さんにもひとつ苦手なことがあり、それが網の手入れ。「苦手なことほど最優先して短時間で行う工夫をする」。これも達人になるべき重要なルールだろう。
「満点の魚を最高の料理に仕上げる高級店のシェフの技には感動する」と言う一方で、「60 点の魚を安く仕入れて旨い料理を作るタイプの料理人さんも大好き」とも。
価格の安さにこだわっている店の場合、当然、値の張る魚を仕入れることはできない。店の内情を考慮しながら、藤本さんはその範囲内で最高の魚を届けるように心掛ける。特に料理人の心意気に惚れ込んだ場合は協力を惜しまない。
小ぶりの鯛を見せて、「これはOLさんたちに安くて旨いランチを出す東京の人気店に出荷します」と言う。20代や30代の女性の中には、魚料理が苦手な人も少なくない。「魚を食べる文化が衰退してしまう」と危惧したその店の店主は、子育て世代やこれから母親になる女性たちに魚のおいしさを知り、子どもたちに伝えてほしいと、藤本さんの魚を仕入れ、薄利でランチを続けているのだ。
「普通、1200円の焼き魚定食に天然の鯛は使えない。でも、シェフの考え方に賛同するから、安く提供できるサイズの鯛を集めて出荷しているんです」と藤本さん。もちろんその鯛にもていねいに神経締めを行う。旨い魚を届けるだけではない。「食文化を守る」のも、藤本さんの流儀なのだ。
・扱っているもの(魚)についてはできる限り要望に応じる
・取引先のレストランへは必ず食べに行く
・仕事も趣味も一緒だから1日16時間働ける
1982年、愛媛県生まれ。漁師の家の4代目として育ち、3歳で釣りを始め、幼い時から家業を手伝う。自分の代になってから本格的に神経締めを行い、獲れた魚は市場だけでなく、全国の100軒以上の飲食店へ出荷している。
(株)蛭子丸
今治市宮窪町宮窪2872-1
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上村久留美=取材、文 村川荘兵衛=撮影
本記事は雑誌料理王国287号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は287号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。