1990年代からの「失われた20年」と表現されるデフレ経済の中、飲食店の経営は容易ではない。「10年続く店は3割」と言われるが、「体感的にはもっと少ないように思います。1〜2割ではないでしょうか」。2000年に32歳で「ラミティエ」をオープンしたオーナーシェフの宮下清志さんは、「ひたすら働き続けてきた」と語る。
独立を意識したのは、26歳から2年間パリで仕事をした時だ。パリで小さな店の料理長を任された。ここで、「ラミティエ」の原点となるポリシーを培った。
フランス人が日常生活の中で、ごく普通に食べるフランス料理の店を日本で開くこと。それは「わたしの田舎、信州の築北村で農業をやっている両親でも、気軽に食べに来られるフランス料理」の店だ。
29歳で結婚した宮下さんは、妻の紀子さんの協力を得て夢の実現にこぎつけた。紀子さんもパリで暮らしたことのある女性。
高田馬場は、20歳で東京へ出てきた宮下さんが根を下ろした街。パリの裏町の食堂にぴったりの立地だ。「僕自身が納得できるしっかりしたフランス料理を安く提供するには、店は少人数でやらなければならないわけで、僕と妻が働いています」
納得できる食材を手に入れるために、宮下さんは実家の協力も得た。両親はズッキーニやモロッコインゲンなども作るようになった。猟師の叔父からも食材が届く。「適正な価格を払っています」と宮下さん。
仕入れ先との交流は大切だ。「業者の方が店に食材を届けてくれたら、いくら忙しくてもお茶を一緒に飲んだり世間話をしたりします」。
こうして、昼のコースメニュー1000円、夜のコースメニュー2000円の店はスタートした。
田舎風お肉のパテ
宮下さんのスペシャリテのひとつ。コース料理の前菜としてチョイスできる人気のひと皿。パテの旨さも抜群だが、付け合わせのピクルスや長野から送られてくるリンゴ(フジの小玉)で作ったワイン煮も抜群
旨い、安い、ボリュームたっぷり、ひとりでも気軽に入れる。こんなうれしい〝パリの食堂〞が繁盛店とならないわけがない。世の中の景気の波にも左右されない店となった。
その秘訣は? という問いに、宮下さんは笑顔で語る。「自分の身の丈にあった商売をすること。自分自身とお客様に誠実であること」
もうひとつ、「自分の中に目標とする人生の先輩を描くこと」。その人が四谷「北島亭」のオーナーシェフ北島素幸さんと、パリの「カーブ・ドゥロー」の中村恭さん。「まだまだおふたりの足元にも及びませんが、僕もずっとこの店を守り続けていきたい」。そして、真の料理人として、職人として生きたいと願う。
「継続は力なり」の宮下さんの核心は、ここにある。オープンから15年。「ラミティエ」の昼のコースメニューは250円、夜のコースメニューは800円しか上がっていない。
キャラメル風味の少し濃厚な味わいのプリン。アーモンドとキャラメルの風味が溶け合うようにマッチする。デザートは別料金になるが、チョコレートのムース、タルト、シャーベットなど充実していて、デザートを楽しみにしているファンも多い。
厨房は磨かれ、キッチン用具は使い勝手が良いように整理整頓され、誠実な宮下さんの性格がにじみ出ている。
北島亭の北島素幸さんが、気にかけてくださり、とても感激しました。
宮下さんが「人生の師」と尊敬する北島亭のオーナーシェフ北島さん写真/星野泰孝
【社会の動き】後半から景気は減速
16年の歴史を物語る、開店当初から使用しているオーブン用の真っ黒になった皿。
開店から7年目にリニューアルした。その時に、パリで買い求めたフランス料理に関する絵や銅の鍋など好みのものを店に飾った。
自粛ムードの中、いつもは断っている子ども連れでの来店を歓迎した。
学生街高田馬場の裏路地に佇むラミティエは、パリの食堂の風情。この地は東京で働くようになった20歳から宮下さんが馴染んだ町。
1967年長野県生まれ。辻調理師専門学校卒業後、広尾「オー・プティ・パリ」などで就業後、渡仏。パリの「スールタン」という小さな店の料理長を任される。2000年、32歳で独立を果たす。
ラミティエ
L’AMITIE
東京都新宿区高田馬場2-9-12 柴原ビル1F
☎03-5272-5010
●11:30~13:30、17:00~22:00
●月、第2火休
●24席
長瀬広子=取材、文 富貴塚悠太=撮影
本記事は雑誌料理王国247号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は247号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。