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ガストロノミー界の重鎮が語る!「良きシェフ」への条件


日本の料理は「海の料理」です。海を守ることが未来の“ボン・シェフ”への第一歩です

62カ国、560加盟メンバーの頂点に立つガストロノミー界の重鎮 オリビエ・ローランジェさん

 20年以上「サスティナブル」は料理界の喫緊の課題だと警鐘を鳴らし続けた。現在副会長を務める世界的な会員組織「ルレ・エ・シャトー」は2010年11月、「地中海を含む大西洋のクロマグロを使わない」「持続可能な水産物を調達する」など、魚料理提供に関する六つの宣言を出して、実行に移した。そして、大西洋マグロは徐々に資源量を回復。「大西洋まぐろ類保存国際委員会」は、2020年には前年の50%以上漁獲枠を拡大することで合意した。オリビエさんの信念は、現実を動かし始めている。

──24歳のとき料理人になろうと決心された、と聞きましたが?

 科学を学んでいたんですが、21歳のときに殺人未遂事件の被害者になり、2年半入院しました。ベッドの上で、「幸福を追求するための表現」って何なんだろうと模索していたら、漁師になったり、農家を継いだ子供時代の友人が、週末になると野菜や魚を持って訪ねてくれるようになりました。おいしいワインも持って。

──「幸福の形」が姿を現わし始めたんですね?

 人生の味わいというものは、食卓を囲んで過ぎていく、こういうところにあるんだと思ったんです。

──奥様のジャンヌさんとも、そのころ出会われたんですね。

 彼女は薬学の勉強をしていて、僕は物書きになりたいとも思っていましたが、結局、生家を守るためにも料理人になった。料理をするのは、人生の詩を、別の形で語っているのではないかと思います。

──料理も、言葉で表現できることがとても大切だと思います。

 言葉と料理は分かちがたい。私の息子は、スパイスや海草に重きを置いて料理をしていますが、スパイスや海草が持つ役割は、文学において句読点が持つ役割と似ています。句読点があるからこそ、言葉の中に隠されているニュアンスが立ち現われる。同様にスパイス、海草があるからこそ、料理の中の、隠されている何かがあらわになると思います。

──「メゾン・ド・ブリクール」の閉店の理由は、肉体的に無理だったからだと聞きましたが?

 生きるか死ぬかという状況で、生存の確率は3分の1だった。それで、まず自分の家族、スタッフをどうやったら守れるかを考えたんです。

三ツ星を「返上」したわけではない。 でもミシュランがなくてもレストランはやっていけると思う。

──2008年にはミシュランの三ツ星も返上された。

 例えば弁護士や医者といった他のどの職業を見ても、第三者の非常に主観的な判断、つまり料理の世界でいうところのミシュランのようなものに、自分たちのビジネスが左右される職業なんてどこにもないと思います。10年前は、ミシュランはまだ大きな需要性は持っていて、辞めようとしたときに私は三ツ星を持っていました。そんな状況で私が店を辞めてしまったら、スタッフも家族も危機に陥ってしまう……。

──それでも決断できたのは?

 自分が三ツ星を返上して、料理学校やスパイスの店、ビストロをきちんと経営できるシステムを作っておけば、自分が退いても家族やスタッフを守れる、と考えて決断しました。結果として、スタッフの誰も解雇しないで済みました。

──2年間、完全に療養された?

 僕が今ここにいるのは、ブルターニュにいる妖精のおかげ。第3の人生を与えてもらった。私の決断が証明したのは、ミシュランの星がなくても、経済的にホテルやレストランの経営は成り立つことです。それは自分たちが、ルレ・エ・シャトーに加盟して、世界的に土台を築いていることも大きいと思いますが。

ブルターニュには妖精が生きている。その日の風や温度によってもたらされる、ポエジーの味をここで味わう。カンカルはそういう場所だと思う、とオリビエさんは言う。

環境、文化、愛情がその土地のその日の味を作る

──では、「レストラン」って何なのでしょうか?

 食卓のある、誰かの家の扉を開ける行為。その場所に自分が受け入れられて、その食卓につく。

──そこで味わうものは?

 店のある土地の味です。その要素は、まずは周りの環境がもたらしてくれる味。次は、その場所の文化的なものがもたらしてくれる味。そして、そこにまつわる感情、愛情がもたらしてくれる味です。「旬のもの」と言いますが、もっと儚い、その日の味です。

――ブルターニュ、カンカルの土地の味はどういうものですか?

 モン・サン=ミッシェルの方に向かって、潮がひいているときと満ちているときでは海岸線に12キロも差がある。そんな海にはヨーロッパでも類を見ないほどプランクトンの種類が多い。魚にとってまたとない理想的な場所です。それに、一日何時間か海水に浸されないと育たないタイプの植物も大変よく育つ。つまり海と月の満ち欠け、満ち引きによって守られている場所だと言えます。

──文化的には?

 ケルトの神話に守られている場所です。それと、車で1時間弱西の港町サン・マロから始まる、私たちが持っていた海洋民族の歴史がある。つまり成功するということは、ここを出て他に行く、海を渡るということに等しかったんです。

──それを味の中でどうやって表現するんでしょうか。

 海洋民族が持っていた軌跡をたどって中東、インド、アジア、そして新大陸のスパイスを使うことによって、海洋民族の道のりを料理で表現する、翻訳する。それが土地の物語の一つとして、料理になっているんです。

──暮らしの中にその文化が息づいていたんでしょうか。

 私たちが買った家は、18世紀にスパイスの交易をしていた家で、伊万里の皿が残っていたりしました。私がスパイスを使うときには、決してエキゾチックな要素としてではなく、フランスの歴史の一部、ブルターニュの歴史につらなるものとして使っています。スパイスは当時、宝物みたいにしてブルターニュの地に辿り着いた、それを表現しているんです。

──ところで、オリビエ・ローランジェと言えば「サスティナブル」と答えが返ってくるほど、世界的なリーダーですよね。

 海は地球の%を占めています。この大洋から命が生まれてくる。料理人にとって、これは非常に大事なことです。必ずしも有名な料理人とかではなく、人にものを作って食べさせる人、お父さんでもお母さんでも、海は全ての人たちにとっての命の源。巨大な食糧庫なんです。


モン・サン=ミシェル
家族が大事に語り継いでいる「場所の物語」がある。その一つはモン・サン=ミシェルの物語。海でもなく陸でもない、その間のようなところにあって、だからこそモン・サン=ミシェルはずっと聖地とされてきたのだ、とオリビエさん。

地球の7割は海。その海は今、危機にある。何もしないことも可能だが、生命の源を守ろうとする〝良きシェフ"であって欲しい。


──それが今、危機にある。

 僕は今回も、教訓をたれるために来ているわけではなくて、2014年にマニフェストをユネスコに出したルレ・エ・シャトーのシェフ代表として、組織を超えて料理人が集まりましょう、と声を掛けるために日本に来ています。そのマニフェストによって、自分がもっと先に行かなければ、と考えているんです。

──海の危機は、環境汚染のせいもあるし、温暖化のせいもある。

 それと、大規模な漁業、工業的な漁業のせいでもある。強調しなければいけないのは、小さい漁船ではなくて、あくまでも大規模な漁業が危機を加速しているということです。もちろん、ここで何もしない、以前と同じように自分の仕事を続けていくことも可能だと思いますが、ヨーロッパでは獲られた魚の60%がレストランで消費されています。そうなるとシェフの負っている責任は重大だと言わざるを得ないでしょう。

――魚がどんどん高くなっても仕方ない、などということではなく。

 世界中の漁獲の40%の魚が、死んでそのまま海に捨てられています。ですから、しなければいけないのは、漁を禁止することではなく、世界の料理人が各々の地域で意識を高めることによって、自分たちができることが何なのか、それぞれの地域の海洋資源を守るためにできることは何なのかを考えることだと思います。

──例えば小規模な漁師さんと連携することが、海を守る?

 そう。海はフラジャイルなものです。まず、それぞれの魚がどれくらい危機にあるのかを把握することが大事です。次には漁獲方法。どんな方法で獲ったらひとつの魚だけでなく他の魚も巻き込んでその生態系を壊してしまうのか。三つ目は、どれくらい以上の大きさの魚なら獲ってもいいのかを決めること。四つ目は季節。魚によって産卵の時期は異なるし、産卵前に獲れば数が減ってしまいます。

──日本のシェフたちにメッセージをいただけますか。

 この10年くらいブームともいえる和食はまず、海の料理であると思います。日本人は特に、自然に対して敬意を抱いてきた民族だとも思います。未来の料理人は、グランシェフではなく、ボンシェフであるべきだとも思います。おいしいだけでは充分ではない。倫理的(エシカル)な料理が求められています。その条件のひとつは食べることの楽しさ、喜びを守る。二つ目は生態の多様性を守る。三つ目は人の健康、地球の健康を守る。そんな〝ボン・シェフ〞になっていただきたいと切望します。

──お時間のない中、貴重なお話をありがとうございました。

スパイスの魔術師
干満が激しくプランクトンが豊富な海に育つ海草、海の民が異国から運んださまざまなスパイス。数百種類もあるスパイスを使い、海で採れた海草を重視して、魚介中心の「海の料理」のルセットが決まる。
Olivier Roellinger
Olivier Roellinger
モン・サン=ミシェルと、東洋貿易で栄えた港町サン・マロの間の街カンカルに生まれる。エンジニアを目指したが、暴漢に襲われ瀕死の重傷を負う。24歳のとき、生家メゾン・ド・ブリクールを蘇らせようと決心し、独学で料理を学ぶ。魚介類を中心に、ノルマンディーとブルターニュ北部の食材を使い、スパイス300種以上を使い分ける「スパイスの魔術師」。

民輪めぐみ=インタビュー・構成 


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