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地方で10年以上続く人気店。「オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ」


東京のハイスピードは自分に合わないと、笹森さんは生まれ育った青森県弘前市での独立を選んだ。自らの経験から、「情報社会において、地方は『ハンデ』にはならない。店の名前を広めるには、むしろ地方で人と違うことをするのが近道かもしれない」と言う。

笹森通彰さんのクロニクル

  • 1994 料理人をめざす(21歳)
  • 2001 渡伊。2003年6月まで星付きレストランで修業
  • 2003 独立(30歳)「オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ」開店
  • 2004 生ハム作りに挑戦し始める
  • 2005 チーズ作り開始。ワイン用のブドウ栽培も始める
  • 2009 「サスィーノ」のオリジナルワインの誕生
  • 2010 「ピッツェリア・ダ・サスィーノ」開店本格的なワイン造りを開始

「郷土愛」を肝に銘じて、手作りを基本にゲストをもてなす
笹森通彰さん オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ

全国各地からお客さまが来てくれる店を地元・弘前で開きたい――。笹森さんは料理の世界に入った当初から、独立のカタチをそう決めていた。料理に興味を持ったのは、コンピュータのプログラマーをめざして専門学校に通っていた時のこと。卒業間近、アルバイトをしていたイタリア料理店で、まかないなどを工夫するうちに、「奥が深くて面白い世界だ」と感じ、そのままその店に就職したのだ。すでに21歳。料理の専門学校に入り直す時間的な余裕も資金もなかったので、「現場主義で行こう」と決めた。最初の3年間で徹底的に基礎を学び、次の3年間は東京の一流店で働き、その後イタリアでの修業を経て、10年以内にはシェフになろうという計画を立てた。

自分でできるものには何にでも挑戦してみる

人より遅いスタートだから、この計画を実現するには寝る間も惜しんで働かなければ、と覚悟を決めた。イタリア語修得も現場主義。イタリア人シェフのいる店で、積極的にシェフに話しかけ、料理と語学、両方を学ぶように心がけた。努力を重ねた結果、笹森さんはすべてを計画通りに進め、2003年、30歳で、生まれ育った弘前市に「オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ」をオープンさせた。弘前での独立にこだわったのは、修業時代から、「青森にはよい食材が揃っている」と知っていたからだ。たとえば、買ってきた野菜と、祖母が地元で育てていた野菜では味も香りも格段に違う。「素材にこだわらなければおいしいものが作れない」と実感し、痛感していた。だから、「サスィーノ」をオープンした後は、祖母から畑を譲り受け、店で使う野菜や果物は無農薬で栽培しているという。もちろん全部はまかないきれないので、地元の生産者からも農作物を仕入れている。

生産者から届いたばかりの馬肉は、解体し、つるして保存する。4℃で3週間から1カ月熟成させると旨味が増すという。 Tボーンステーキなどにして提供する予定だ。

「ただし、生産者との連携を密にしたいので、仕入れ先はできるだけ、車で30分以内のところに限定しています。それは肉などについても同じです」オープンの翌年には生ハムを作り始め、さらにその翌年からはチーズ作りに挑戦。ここまでは想定内だったが、「もっといろんなことがやりたくなって」と、ワイン造りの準備も始めた。ネビオロ、マルヴァジア、バルベラ等、イタリアワインに使われる品種のブドウの苗木を買って試験的に植えてみた。すべて独学。「作れるものは何でも自分で作る情熱の人」と、笹森さんの奮闘ぶりがマスコミに取り上げられると、その名は一気に全国区になった。「地方で独立した場合は、名前が知られるまでには時間がかかると思っていました」。しかし、地方にもスポットが当たる時代がやってきた。「東京で開店するよりも近道を選んだかもしれません」。

シェフのスペシャリテのひとつである「ウニのパスタ」。手打ちのキタッラを用い、ウニ、ヤリイカ、ドライトマトを盛り込んだ、贅沢で風味豊かなパスタ。

自然との共存をテーマに 震災のダメージを乗り越えて

独立の際にかかった費用のうち、1千万円は両親から借りた。開店当初、スタッフは自分とパートのふたりだけ。人件費を抑えて始めたが、客数は順調に伸びていったので、5年ほど経った頃には両親への返済のめども立ってきた。独立7年後の2010年に東北新幹線全線開通に合わせ、思い切って弘前市内に「ピッツェリア・ダ・サスィーノ」を出した。銀行からはかなりの借金をしたが、弘前初の本格的なナポリピッツァの専門店は大繁盛する予定だった。しかし――。「翌年の東日本大震災で、計画が大幅に狂いました」放射能汚染の風評被害で、客数はなんと9割減にまで落ち込んでしまった。税金が払えず、銀行に更なる借り入れを申し出た。立ち直ることができたのは、毎日畑を耕し、生ハムやチーズ、ワインを仕込んで、日常の仕事を淡々と続けていたからだ。

2015年のメルローをテイスティング。「この年のワインは、仕込んだ当初から凝縮感があって青臭さもない。どんなふうに熟成していくか楽しみです」と笹森さん。白ワインは最初から満足のいく仕上がりだったが、赤ワインは、年々おいしさを増しているようだ。

「震災後1、2年は厳しい状況でしたが、徐々にお客さんも戻ってきました」。何よりうれしかったのは、畑が汚染されずに済んだことだった。オープンから10年を経て、ようやく両親への返済を終えた。「僕の仕事は、ある意味、自然が相手ですから、トラブルはほかにもあります」。こう言いながら、笹森さんは烏骨鶏の鶏舎に案内してくれた。昨夏はキツネやイタチに荒らされて、烏骨鶏が全滅する被害も受けた。天候不順で、ワイン用に収穫したブドウを「全部捨ててしまいたい」と落ち込む年もあった。
「山と神社が心のよりどころです」。困った時ばかりでなく、順調にことが運んだ時にも報告と感謝を伝えに岩木山神社を訪ねる笹森さん。「くたくたになったら癒してくれる温泉もあります」と笑う。自然の豊かさと同時に過酷さを知っているからこその笑顔だ。すべてを自然の仕業と受け入れることも、地方でレストランを続けていく大事な視点だと、その笑顔が教えている。

「自家製生ハムの盛り合わせ」。アグー豚を使ったプロシュット・クルード、ボローニャ風ソーセージのモルタデッラ、牛モモ肉を塩漬けにしたブレザオラなど、いろいろな味が楽しめる。
チーズも自家製で、本日の盛り合わせの内容は、カチョカバロ、白カビのチーズのほか、ウォッシュタイプやセミハードタイプなど、バラエティに富む。

text 上村久留美   photo 富貴塚悠太

本記事は雑誌料理王国第261号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第261号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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