「45歳までに三つ星」へのカウントダウン 仏二つ星「ラシーヌ」田中シェフの挑戦(前編)


今年2月、フランス・シャンパーニュ地方のミシュラン2つ星レストラン「ラシーヌ」のオーナーシェフ、田中一行氏が、ホテルニューオータニでのイベントのために凱旋帰国した。

田中氏がランスに「ラシーヌ」をオープンしたのは2015年。開店わずか1年半の17年には1つ星、20年には2つ星。普段から「45歳までに3つ星を」と語る田中シェフは、21年にもホテルニューオータニでイベントを行っている。

「2回目だけに、一緒に働くスタッフのために、日本人である自分が日本語で話すだけではない価値を生み出したい」と、今回コラボレーションという形でのイベントを企画。心にあったのは、まだホテルニューオータニ佐賀で働いていた駆け出しの頃の思い出だ。大阪で行われたピエール ガニェール氏のイベントに、当時の上司が参加、フランスの3つ星の凜とした空気を伝えてくれたのだ。今見ているだけではない、より広い世界があるということに気付かされ、「フランスに行きたい」と思うようになった原点だ。

「日本で働く若い料理人の、そんな『気づき』になれば」と依頼したのは、レジス・マルコン氏の元で修業時代共に働いた、レジス氏の長男、ジャック・マルコン氏と、あえて古典的な製法に回帰した気鋭のシャンパンメゾン「ベレッシュ・エ・フィス」の5代目、ラファエル・ベレッシュ氏。深い信頼関係からどちらからも二つ返事でOKが出たという。

現在、ジャック・マルコン氏は父と共に3つ星の「レジス・エ・ジャック・マルコン」のシェフとして活躍。合計5つ星×希少なシャンパーニュという、前例のないコラボレーションが誕生した。

父の跡を継ぎ、自身のスタイルを確立し始めているジャック氏、そして3つ星に向けて着実に歩を進める田中氏の料理哲学。「古くて新しい」シャンパーニュ作りを徹底するべレッシュ氏。三人三様の形で、フランスの「いま」を伝える内容となった。

当日の料理の写真と共に、今の3人の「現在地」を語ってもらう。

◎ジャック・マルコン氏

父レジス氏と共に「レジス・エ・ジャック・マルコン」の厨房に立つ、ジャック・マルコン氏。

田中シェフは「レジス・エ・ジャック・マルコン」で3年間働いていたとか。それ以来の付き合いだそうですね。

そうですね。当時から、私は父と共にシェフを務めていて、カズはさまざまなポジションを経験したあと、スーシェフになりました。年齢があまり離れていないこともあり、今では良い友人です。カズが店を離れてから12年、一緒に料理をつくるのは今回が初めてですが、その時その時の直感で食材を組み合わせてゆく、カズらしいスタイルも、性格も全然変わりませんね。決まった食材だけに限定しない柔軟さなど、料理人としての考え方がとても似ていると感じます。

今回のメニューづくりはどんなところを工夫されましたか?

シャンパーニュとのペアリングということだったので、白身肉のウサギを使って、父の時代からの長年のシグネチャー、ラム肉と似た仕立ての料理をつくりました。

また、デザートは、通常は梨を使うのですが、今は日本では季節ではないということで、いくつかのリンゴを試食させてもらい、ふじりんごに置き換えてデザートをつくりました。

リンゴ/モリーユ

最近ではだいぶフランスにも日本の食材が入ってきていて、柚子などもだいぶ手に入りやすくなりました。うちの店の近くでも、日本人の女性が雑穀を使って「醤油」を作るようになっています。こういった地元でつくられるものはフランスのテロワールを反映しているものだと考えています。

—店では近郊の食材を中心に使っているそうですね。

魚はブルターニュからのものを入れていますが、それ以外は店から100キロ圏内でとれたものばかりを使っています。父が私の歳の時には、まだ店が小さく、厨房スタッフも少なかった。父は週休1日で、コンテストもあったのでとても忙しく働いていました。今は厨房に25人のスタッフがいて、週に3日は休み。その休みを使って、生産者訪問をしたり、子どもと畑の手入れをする。スポーツもクロスカントリースキーやサイクリングなど、自然を感じるものが好きです。そういったことで、自然を感じて、いかに表現するか、ということを常に考えています。

—父レジスさんは「キノコの魔術師」として知られていますが、ジャックさんが加わったことで、さらに自然に近い料理になっているということですね。

「パースニップ/セップ」熱々のパースニップのヴルーテにセップ茸のオイルと椎茸、コーヒーで香り付けしたミルクの泡をかけた。

父は、コンクールに積極的に参加するタイプでしたが、私は技術をいかに精密に極めるかということよりも、どちらかといえば農業に興味があり、生産者を訪問して畑で時間を過ごし、自然を感じることに価値を感じるタイプです。今、エコロジーやサステナブルという言葉をよく耳にするようになりましたが、それは心をこめたものの中に自然に現れるものだと思っています。今は、自家菜園の写真を投稿したりして、それらしく見せることはいくらでもできる時代です。でも、それが本当にそうなのか、という本質を私は大切にしたい。たとえば、私が店を不在にする時には、必ず店を閉じます。日本から私の店までは1万キロ弱。お客様がそんな大変な思いをして来てくださって、私が厨房にいないというのは、お客様の努力に報いるものではありません。そういう誠実さを大切にしたいと思うのです。

◎ラファエル・ベレッシュ氏

べレッシュ氏(中央)

「ランスにカズ(田中氏)がいるのはフランスの誇り」と語るべレッシュ氏。田中氏が開店準備中にメゾンを訪問したことで出会い、開店時のワインリストづくりを手伝うなど、ラシーヌを支えてきた。

今回ペアリングに使われたべレッシュ氏のシャンパーニュ。

—元々、シャンパーニュに開店するから、とシャンパーニュのメゾンを田中シェフが回っていた時にお会いになったとお聞きしました。

初めて会った時から、カズは生産者を訪問したいと言っていて、この土地のテロワール、人の手仕事から生まれる質の高さ、そういったものを理解しようという情熱を持ったシェフだと感じました。今回のコラボレーションは、シャンパーニュの畑をそぞろ歩きするようなものになってくれればとイメージしてボトルを選びました。

「テロワールを正確に表現しているかどうか」それが、私がシャンパーニュづくりにおいて、大切にしていることです。

昔は、シャンパーニュといえば、ブランドで飲むもの、あるいは泡を楽しむもの、という考えでした。でも、ようやく普通のワインと同じように、テロワールを楽しむ、という考えが徐々に定着してきたのは嬉しいことです。

—べレッシュさんのシャンパーニュも、細かい手仕事が生み出す、とても繊細なものですね。

私がこだわっているのは、瓶内二次発酵を王冠ではなくコルク栓で行うということです。これは、実は第二次世界大戦が始まる頃まで使われていた昔ながらの方法なのですが、王冠の方がより素早く、機械で自動的にできるので、その方法が主流になりました。私のメゾンでは、父が1990年代に昔ながらのコルク栓に戻し、2004年にメゾンに戻った際に、私もそのよさに納得したので、引き続き同じ手法をとっています。手作業なので手間はかかるのですが、ワインに常に微量に酸素が送り込まれることによって、王冠の時のような急激な酸化を逃れることができるのです。あとは、感覚的なものですが、泡がとてもクリーミーになるように思います。

「ルフレ ダンタン」のボトルには、1921年に行われていたコルク栓での瓶内二次発酵の際の澱抜きの様子が描かれている。

今回持ってきたボトルの中で、一番気に入っているのは14年に購入したアイ村のブドウ畑からつくった、ファースト・ヴィンテージ。アイ村はチョーク質が強くて、煮詰めた牡蠣のような濃厚な味わいが感じられるでしょう?

—合わせたお料理はヒラメ/バターナッツ。サフランの香りに、バターナッツの自然な甘みが寄り添い、どこか南国風な印象ですね。ヒラメの骨からとった出汁がゼラチン質豊かなもので、シャンパーニュの余韻ともよくあう気がします。

ヒラメ/バターナッツと「エクストラ ブリュット アイ グラン クリュ」

よかったです。2014年の夏は暑かったのですが、規則的な雨に恵まれた、特に好きな年なのです。あと、シャンパーニュはパンと一緒に楽しむと、口の中のバランスをとってくれます。後口の長さを確認するのにもおすすめですよ。

今でも覚えているのは、カズと会ったばかりの頃、お宅にお邪魔して、試作の料理を食べさせてもらって意見交換をしたりしたこと。そんな関係性は今も続いています。これまでにない新しい味わいを生み出すカズには、いつも刺激をもらいます。これからも、クラッシックな店が多いシャンパーニュ地方のダイニングシーンを、一緒に刺激し続けていきたいですね。

後編へ続く(4/26公開予定)

取材・文:仲山今日子 撮影:依田佳子

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