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「イタリア」に縛られい実力派シェフ「アロマフレスカ」原田慎次さん


ノスタルジーがないから僕はイタリアへの憧れで料理を創る

「現代、東京のイタリアンを制しているシェフのひとり」とささやかれる原田慎次さんが、麻布から銀座トレシャスの最上階に店を移して2年。2000軒のイタリア料理店がしのぎを削る東京にあって、なぜ原田慎次は勝ち続けるのだろうか。

トップシェフのモットーは「素材に対して最短距離」 

原田さんが広尾に「アロマフレスカ」をオープンさせたのは、1998年、28歳の時だった。もと同僚で、当時マネージャーの田沢浩さんとスタートした時点から、多店舗展開を決めていた。そして14年。ふたりが経営する店舗は10を数えた。「最良のパートナーと組むことで、その力はかけ算になる」と振り返るが、最高をめざすシェフの精進がなければ、成功はなかっただろう。「素材に対して最短距離」が持論。素材の持ち味を瞬時に理解して生かすストレートさがイタリア料理の魅力だ、と考え努めてきた。イタリア料理の常識を破ってもかまわない。料理がイメージできたら、和食や中華の調理法を取り入れることもある。「イタリアに対してノスタルジーがないから、僕はイタリアへの憧れで料理をする。だから自由に冷静に料理ができるとも思っています」

10年ほど前、イタリアの料理専門誌ガンベロロッソの編集長が来日した。彼は原田さんの料理を食べ「これはイタリア料理だ」と言った。その瞬間、イタリアで修業していないことへのコンプレックスのようなものが、すうっと消えた。

「素材に最短距離」は、20年以上前に見習い中の原田さんが、六本木「ヂーノ」の佐竹弘料理長から学びとった言葉だ。

「ヂーノではものすごいスピードで働きました。目で見ているだけでは追いつかない。香りを嗅ぎ、耳で聞き分け、五感すべてを使って料理をすることを学んだ。息つく間もなくアドレナリンが出っぱなし」

180gある赤座海老の半身が1人前。十分な食べ応えを意識しての分量。

〝進化〞したいから自分に付加をかける

 初めて挫折を味わったのは、24歳で「ヂーノ」の2号店「ジリオーラ」のシェフを任された時だった。オープニングの夜、料理を待ちきれずに帰っていく客がいたのだ。何ひとつ思い通りにいかない幕開けに、涙が出た。ヂーノは24席。それくららいなら自信があった。しかしジリオーラは42席。

「自分の限界を知りました」

 この壁を越えなければ前へは進めない。それから半年間、始発から終電まで働いいた。睡眠時間3時間。60キロの体重が54キロになった。

「死ぬかもしれない」とは思ったが、「やめよう」と考えなかった。そして気づいたら壁を乗り越えていた。ランチの客は毎日約120人。オーナーが提示していた目標の2倍以上の売り上げを出していた。

食材に向かうと、柔和な表情が一変して厳しいシェフの顔に。

 この成功後に「アロマフレスカ」に挑んだ。目標は実力以上に設定する――自分に負荷をかけるから成長するのだと思う。「アロマフレスカ」と同フロアに「サーラアマービレ」を開店したのも新たなる挑戦だ。

 高級イタリアンの「アロマフレスカ」と、多彩な前菜が5000円台から楽しめる「サーラアマービレ」。両立には難しい面もあるが、良い素材を、大きさを変えることで両店の客に提供できるというメリットもある。しかし、「どちらのポーションでもおいしいと感じていただくには、塩や酸のバランスにもかなり気を遣います」。

 このリスキーな挑戦こそが、原田慎次の歴史をつくるのだ。

「バランスのよい料理を生み出すには、素材から目を離さないこと。肉も魚も、今日仕入れたのと昨日のとでは違う。それにどうアプローチするのかを、学んでいくんです」

 料理人なら素材に敏感であれ。同時に「時代」にも。

「赤座海老のクルード」。赤座海老は片面だけ強火で20秒ほど加熱すると甘みが増し、トマスソースとの相性もよくなる。ハーブやオリーブオイルに、太白のゴマ油や鮎の魚醤などを組み合わせるところが原田流。

上村久留美=文 依田佳子=写真 

本記事は雑誌料理王国219号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は219号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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