東京「イヌア」副料理長から、奥琵琶湖でシェフに。「都会も好きだが喧騒の中で消費する世界。ここは静かな自然と共存し、季節の手仕事の喜びがある」と語る。1年の準備期間を経て今春オープンしたばかりだが、早くも関西圏を中心に注目され、フーディーや同業者の訪問も多い。多皿コースを最後まで飽きさせない独自のセンスが光る。
かつては伊香郡で、2010年に長浜市に編入された、琵琶湖の最北岸地域に位置する西浅井町。北前船より前の時代から、敦賀(つるが)と大津、京都を結ぶ琵琶湖舟運の拠点として栄えた。今ではひっそりとした小さな集落ながら、昔をしのばせる古い家屋が残っている。
名古屋や京都からは車で1時間半、長浜の中心地からも30km離れたこの地に、一人の若きアメリカ人がやって来たのは昨年のこと。湖畔に建つ2008年開業のオーベルジュ「ロテル・デュ・ラク」のレストランを、それまでのフレンチからイノベーティヴに刷新することになり、シェフに選ばれたのが、コールマン・グリフィン氏だ。
「人生とは不思議なもので、もしもコロナ禍になっていなければ、私はここに来ていなかったかもしれません」
故郷ロサンゼルスで修業し、サンフランシスコの3つ星「べヌー」では副料理長を務めた。デンマーク「ノーマ」の流れを汲む東京・飯田橋「イヌア」の副料理長に就くため2019年に来日。が、ほどなく閉店となり、働く環境について考えさせられる状況下でのオファー。琵琶湖の地を見て回り、可能性を大いに感じて決意したという。フロア担当の同僚2人も連れて移り住み、1年かけてチームで準備、今年4月にオープンした。
「食材へのアクセスが素晴らしく、湖魚、マキノのジビエ、大津の淡海地鶏、安曇(あど)川のアドベリーなど湖周辺だけでも豊富。敦賀や小浜が近いので日本海の魚介も使えます。そして何よりこの地のユニークさは、なれずしに代表される発酵の食文化です」と話すコールマン氏。風土や伝統、食材に敬意を払い、再解釈した「湖北キュイジーヌ」をコンセプトに掲げ、少量ずつ最大14皿を提供。パンは地元産のスペルト小麦を必要な分だけ挽いて天然酵母で作り、ワインはフランスやイタリアの自然派、滋賀の蔵元の日本酒もペアリングする。
塩水発酵の野菜、フルーツのピクルス、各種フレーバーオイル、スジエビの佃煮、鴨の生ハムなどを自家製し、その風味を効果的に用いるコールマン氏の料理は、ほかにない取り合わせでありながら、なぜかしら郷愁のような感情がわいてくる。無理をしていない味、とでも言おうか。
自然と共存する生産者や人々の暮らしに寄り添うため、自分達も環境や資源の保全を実践しようと、魚を仕入れる際は発泡スチロールではなく専用ケースを使い、コンポストを導入し、余ったワインは発酵させてヴィネガーにするなど、いろいろ試みているところだそうだ。
ダイニングの内装は、安曇川の土を用いた左官仕上げの壁に信楽焼のタイル。天井をあえて低くすることにより、コージーな雰囲気を高めている。大テーブルの半個室や円卓もあるが、店内中央に大きく占めるオープンキッチンを間近で見られるカウンターが特等席だ。闇夜に包まれている琵琶湖を背にして、食べ手は皿の中にテロワールの情景を見つけるに違いない。
コールマン・グリフィン
1991年アメリカ・ロサンゼルス生まれ。ロサンゼルス「ザ・ファウンドリー」、セント・ヘレナ「メドウッド」を経て、サンフランシスコの3つ星「べヌー」で副料理長を務める。2019年に来日し、飯田橋「イヌア」の副料理長を経て、2021年5月、ロテル・デュ・ラク「SOWER」の料理長に就任。
滋賀県長浜市西浅井町大浦2064
TEL 0749-89-1888
17:30~/20:00~(一斉スタート)
火・水休
text: Yumiko Watanabe photo: Shohee Murakawa