「炭」を利用し、果樹園から脱炭素社会をめざす。リオネル・ベカ氏が訪ねる山梨県の取り組み【前編】


「4(フォー)パーミル・イニシアチブ」という言葉を聞いたことがあるだろうか? これは、気候変動抑制のための農業分野からのアプローチで、国連が2015年に提唱したもの。日本では山梨県がいち早く取り組んでいる。その実践農家である中込農園に、サステナブルな社会のあり方に強い意識を傾けるリオネル・ベカ氏(「エスキス」エグゼクティブシェフ)が訪問した。

「大きな変化は一人ずつの行動からはじまる」とベカ氏。山梨県の農業に、地球温暖化防止対策の可能性を見る

さくらんぼ、桃、すもも、ぶどう……初夏から初秋にかけて全国のスーパーやデパートでは、山梨県産のフルーツがひときわ強い存在感を放つ。山梨は日本随一の果物王国だ。

そんな山梨県の果樹を含む農業で、新しい視点での取り組みがはじまっている。脱炭素社会をめざす、農業分野からのアプローチである。

山梨県が全国に先がけて取り入れる、農業の取り組み

出発点は、2015年の国連のCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締結国会議)にて提唱された「4(フォー)パーミル・イニシアチブ」。これは、世界の土壌の表層に含まれる炭素量を増やすことで、大気中の二酸化炭素量の増加を実質ゼロにするという構想である。2023年7月の時点で、日本を含む768の国や国際機関が取り組んでおり、なかでも山梨県は2020年4月、国内の地方自治体として初めて参加した。

山梨県では果樹の栽培で4パーミル・イニシアチブを積極的に推進している。今回訪問した中込農園はその実践農家の一つ。

今まさにこの取り組みが農家の間に広まりつつある山梨県は、特に同県で盛んな果樹栽培のジャンルでの実践に力を入れている。そうした農家の一つである中込農園は、南アルプス市で代々果樹を栽培する農家。今回、東京・銀座「エスキス」でエグゼクティブシェフを務めるリオネル・ベカ氏が桃の収穫時期に訪れ、農園を切り盛りする中込恵子さんと出会った。

なお、ベカ氏は都会の中心にいながら、全国の意欲的な生産者のもとを多く訪ね、彼らとの対話を大切にしながら食材を仕入れるシェフ。と同時に、環境問題の解決や、サステナブルな社会の実現のために、料理人はどうあるべきかという課題にも向き合う。

そんなベカ氏が、脱炭素社会をめざす山梨県と中込氏の取り組みに触れて感じたことと、それをデザートの一皿に落とし込むさまを、前後編の記事で紹介。前編の今回は、4パーミル・イニシアチブの内容と、ベカ氏の中込農園への訪問を中心にお伝えする。

ベカ氏が中込農園を訪れたのは7月初旬。同農園では収穫時期がずれる全7品種の桃を育てており、この日は「夢みずき」が時期を迎えていた

「4パーミル・イニシアチブ」とは

最初に4パーミル・イニシアチブについて少し詳しく説明しておこう。

まず「パーミル」とは聞きなれない言葉だが、これは「1000分の1」という意味。「per (あたり)- mille(1000)」だ。ちなみに、おなじみの「パーセント(100分の1)」は「per- cent(100)」。パーミルはパーセントの10分の1の単位にあたる。なおパーミルは「‰」とも記す。

よって「4パーミル」とは0.4%のこと。つまり「4パーミル・イニシアチブ」とは、訳せば「0.4%構想」といったところだろうか。

この「0.4%」とは、「全世界の土壌に含まれる炭素の量を、毎年0.4%増やしましょう」という目標値。これにより人間の活動で毎年排出される大気中の二酸化炭素を、実質ゼロにできるという理論だ。

もう少し具体的に説明すると、以下のようになる。

◆人間のさまざまな活動による二酸化炭素の排出量は、年間370億tほど。これを炭素に換算すると100億t。
◆逆に、森林などが年間に吸収する二酸化炭素の量を炭素に換算すると、年間57億tにとどまる。

上記に基づくと、差引き43億tもの炭素が毎年大気中に増加し続けることになる。

一方、地球上の土(30〜40cmほどの表土)は現在、9000億tの炭素を貯蔵している。陸上では、大気、陸上の生物、そして土の三者の間で炭素が循環しているが、その「土」の部分に、実は大量の炭素が貯め置かれているのだ。

炭素は循環する。ならば、土により多く貯留させよう

ここで、炭素の循環の中で、土が炭素を貯留するとはどういうことか見てみよう。

陸上における炭素の循環では、まず大気中の炭素が植物に取り込まれる。水と二酸化炭素から、有機物(炭水化物)と酸素を作る光合成がそれにあたる。

光合成により植物内に取り込まれた炭素は、植物を食べた動物にも取り込まれる。これら動植物の中の炭素の一部は呼吸によって二酸化炭素となり、再度大気中に放出される一方で、自らの体躯として地上にも残る。

動植物の体躯はいずれ死骸となり(枯れ枝や枯れ木、動物の死骸)、排泄物とともに有機物として土に蓄積される。その一部は土中の微生物により分解され、二酸化炭素となって大気中に放出されるが、分解されずに残るぶんもある。これが「土壌貯留炭素」として長期的に備蓄される(ちなみに備蓄された土壌炭素は、長い期間を経ると化石燃料へと変わる)。

上記のような陸上の炭素の循環の中で、先述の差引き43億tの炭素を土に毎年新たに貯留させれば、大気中の二酸化炭素は増えない。そして43億tという数字は、すでに土壌内に貯留している9000億tの0.4%=4パーミルにあたる。これが、「4パーミル・イニシアチブ」の内容と名の由来だ。

山梨県では2021年5月、「やまなし4パーミル・イニシアチブ農産物等認証制度」を制定。4パーミル・イニシアチブに取り組む農家が栽培した農作物や加工品は、上記のロゴマークを付けてPRできる。

ちなみに、炭素を土壌に貯留させる具体的な方法は、世界各地でさまざまなものが採用されている。

たとえばフランスでは農業と林業を同じ場所で行う「アグロフォレストリー」の事例が見られる。一方、日本では草生栽培(果樹園に下草を生やす管理法)、堆肥の投入、果樹の剪定枝をチップ化・炭化して土壌に投入する手法などが行われている。

炭を土に入れる農法は、日本では昔から行われていた

今回訪ねた中込農園では、今年から剪定枝で炭を作り、農園に撒く取り組みをはじめた。中込氏は「前々からやりたいと思っていました」と話す。「私がきちんと話を聞いたのは2018年だと覚えています。聞いた時『これはすごい!』と刺激を受けました。どんな国も、企業も、人もSDGsには取り組まなくてはいけないという気持ちがあり、農業でできることは何だろう? と考えて続けていましたから」。

今年から4パーミル・イニシアチブに取り組みはじめた中込氏。今年収穫する桃はその第一号だ

果樹の剪定枝は、これまでは燃やして灰にして処理していたという。「でも、それでは結局空気中に二酸化炭素を排出することになります。そこまで燃やしきらず、炭の状態のものを土に入れるのです」。

一般的な果樹園に比べると、相当に樹々の間が空いている中込農園。広い土中に根を張る樹では、風味の強い桃が育つ。
ブドウを剪定した枝を乾燥させる。
剪定枝を燃やす際に活躍する無煙炭化器。「これを使うと、効率的に炭化できます」と中込氏。

なお、果樹の剪定枝の炭を土に入れる農法は、実は山梨で昔から行われていた。「ガスや電気が普及するより前、生活の中の熱源には炭が使われていました。炭は非常に身近な存在だったのです。その一方で、山梨では果樹の栽培が昔から盛んで、剪定枝がとにかくたくさん出ます。これを炭にして、農業に利用していたんですね」。

さらに言えば、江戸時代の農業書には籾殻を炭にして田んぼの土に入れる農法が記されているという。炭を用いた農業は、日本に古くからあるものなのだ。

ベカ氏も「農家の昔からの知恵なのでしょう。現代の科学でいろいろ追求したら、500年前の先祖がやっていたところに戻ることもある(笑)。結局、ぐるぐる回っているのかもしれません」と話す。

炭にした剪定枝は写真くらいに砕き、樹の根元に撒く。

実際、炭を土に入れることで作物にもよい影響があるという。「炭は分解されにくく、土壌の通気性や水はけによい影響があると言われています。また、この地域に昔、炭を商売にしていた農家さんがいまして、4パーミル・イニシアチブがはじまる前から剪定枝の炭を撒いていたと聞きますが、そちらの農園では昔からとてもいい果物を作っていらっしゃいますね」と中込氏。

炭には微細な孔が多くあり、それが空気のポケット役となって土中に空気を送り込む。その結果、微生物の働きが活発になり、根の張りがよくなるとも言われる。また、炭には肥料の三大要素(窒素、リン酸、カリウム)の一つであるカリウムも含まれている。その供給源にもなる、という説もある。

中込氏は、山梨県の4パーミル・イニシアチブの取り組みを聞いた時、「絶対に必要なこと」と興味を掻き立てられたという。

「個人の一歩ずつ」が、実は環境問題の解決への早い道

中込農園を訪れ、中込氏の話を聞いたベカ氏。「終始、とても興味深かったです。特に中込さんの取り組みはすばらしいと思いました」と言う。

「やはり世の中を変えていくのは草の根的な活動だと私は信じています。自分が、自分の隣の人が、隣の街の人が……と運動が着実に広がっていくと、結果が出やすいはずです。彼女が信念に従って行動に移したとことには本当に尊敬します」。

ベカ氏は中込氏の取り組みに、自然環境改善をめざす草の根活動を感じとった。

そして「子どもたちへの教育に取り入れるのも、大切なことだと思います」とも。中込氏もこれに対して大いに賛成する。JA南アルプス市の女性部副部長としても、意欲的に活動する中込氏。「定期的に行われている食農教育で取り入れたらよさそうです。まずは小学生に畑に来てもらうよう、農協でも話し合ってみたいですね」。

なお、ベカ氏は「私は生産者の方々の “広報部員”であろうといつも思っています」とも話す。後編ではベカ氏がレストランで実践する“広報部員”としての行動と意図を聞くとともに、氏が作る中込農園の桃を用いたデザートを紹介する。

後編はこちら

リオネル・ベカ
コルシカ島生まれ、マルセイユ育ち。南仏地中海沿いの文化の中で成長する。大学で学ぶも20歳を過ぎてから料理人の道に変更。フランス国内で経験を重ね、ロアンヌの三つ星レストラン「メゾン・トロワグロ」でスーシェフに。2006年、東京「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」のエグゼクティブシェフとして来日。2012年に「エスキス」エグゼクティブシェフに。ミシュランガイド2つ星など、多くの高い評価を獲得する。

エスキス
東京都中央区銀座5-4-6 ロイヤルクリスタル銀座9階
https://www.esquissetokyo.com


山梨県では、「地球温暖化対策に貢献する」という新たな価値を消費者のみなさまに提供する「4パーミル・イニシアチブ農産物」を販売するフェアを開催しています。

実施店舗
サンフレッシュ 高島屋玉川店他、全20店舗
澤光青果 蒲田西店他、全9店舗
無印良品 無印良品 銀座

フェアの詳細、そのほか山梨県で行っている4パーミル・イニシアチブの取り組みについてはこちら
https://www.pref.yamanashi.jp/oishii-mirai/contents/sustainable/4permille.html

山梨県の農畜水産物のPRサイト「おいしい未来へ やまなし」トップページはこちら
https://www.pref.yamanashi.jp/oishii-mirai/index.html

text・photo:柴田泉

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