レストランの【サービス】を 「仕事」にするということ。レストランタテルヨシノ 総支配人・田中優二さんに聞く


サービス人なら誰もが憧れた「タイユバン・ロブション」

都ホテルで働き約6年が過ぎたころ、恵比寿に「タイユバン・ロブション」オープンの噂が流れた。
「私の知る限り、当時サービスで世界一と言われていたレストランが『タイユバン』。そして20世紀最高の料理人ジョエル・ロブション率いる『ジョエル・ロブション』。この2店が東京でひとつになるというのです。それはレストラン業界に関わる我々にとって非常に大きなニュースであり、特にサービス人にとっては尋常ではない出来事。まさに夢のようなレストランでした」。

いても立ってもいられない。そんな思いで田中さんは『タイユバン・ロブション』の門を叩く。「面接で『給料はいらないから働かせてほしい』と申し出たら、そこの総支配人が金子さんの同僚だったんです。『金子さんのところにいたのなら』と、すぐに採用が決まり、オープニングスタッフとして働けることになりました」

当時を田中さんはこう振り返る。
「金子さんに追いつきたい一心でやってきましたが、できることなら追い越したい。そのためには、金子さんが経験していないことをしようと。そんな思いがありましたね」。その2年後、田中さんはパリの「タイユバン」本店での研修のため、約1カ月間フランスへ。帰国後は「タイユバン・ロブション」に戻り、最終的にメートル・ド・テルを務め上げた。

コンクール出場で得られる最大の宝は志の高い仲間

2003年、田中さんは「タイユバン・ロブション」時代の同僚だった若林英司さんに誘われるかたちで、𠮷野建さんの新店舗「レストラン タテル ヨシノ」で働き始める。時を同じくして、それまで予選敗退続きだったサービスの技術を競うコンクールで、次々と上位入賞を果たすようになったという。

「なぜコンクールに出場したのかと言えば、ある程度仕事ができるようになったことで、自分の腕を試してみたいと思うようになったから。でも、もうひとつ小さな理由として、サービス人のことを見くびった態度で接してくるお客さまへの反骨心もあったんですよ(笑)」

常日頃から、「親友や恋人になっていく関係と同様に、サービス人とお客さまは互いに尊敬し合うことで信頼が生まれる」と考えている。「自分がもし日本一、世界一のサービス人になっても、そのお客さまは私に同じことを言うのだろうか。きっと、同じような態度はとらないのではないか。そんな気持ちもあったんです」。そして田中さんは国内のコンクールで優勝、世界コンクールでも準優勝という成績を収めた。それによって何が変わったのだろうか?

「コンクールで勝つということよりも、あらためて日々の仕事は大切だと思いました。いかに多くのお客さまに支持されるかが重要なんだと。コンクールで結果を出せたことが自信につながり、一期一会のお客さまとも互いに尊敬し合えるような関係性になれたのも事実です」。

現在「タテルヨシノ」ではサービススタッフの中から毎年何人かがコンクールに出場している。
「私がコンクール出場をすすめる一番の理由は、知り合いを増やしてほしいから。同じ志を持っている人となら、働く店が違っても仲間になれる。自分の働く店の考えだけだと、どうしても見識が狭くなりがち。だから国内外を問わず、料理のジャンルも問わず、半端にやっている人ではなくて、高い向上心と覚悟を持っている人たちと友達になるべきですね。そういう仲間となら、ずっと続く関係になれます。ほかの店に仲間がいると、世界はもっと広がっていきますから」。

「レストラン タテル ヨシノ 銀座」の皆さんとともに。
田中さんと並んで中央に座るのがシェフの 建さん。現在、サービスに携わっているのは、レセプション2名を含めた総勢14名。

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