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独立を意識し始めたのは、25歳の時にニューヨークで、レストランを中心に食べ歩きをしていた頃。自己表現の手段としてサービスマンが輝いて見えたことから、サービスマンというあり方に自信が持てたのが理由です。でも同時に、サービスができるだけでは、独立はできないとも感じていました。
その後、ワーキングホリデーでフランスへ。その時には「ソムリエの修業はここで終わりにして、次に働く店ではマネジメントを学ばなければ」と意識を高めていました。とはいえ、当時のボクは独立開業本を買って読んでも現実味がなく、内容を咀嚼きないでいました。
ただ、独立に向けて実践していたのが、いろいろな街で食べ歩くことです。ジャンルを問わず、東京の人気店の外観写真を撮りためたりもしました。自分にとっては当たり前のことでしたが、仕事の後の一杯や新しい服には手を出さず、手持ちのお金はほぼすべて食べ歩きにつぎ込みました。
お店で出される器やカトラリーもすべて把握できるよう勉強もしました。仕事と勉強だけのおもしろみのない奴。これが修業時代のボクです。
帰国後、サービスマンを探していると知人から連絡があり、当時は東京・白金にあった三ツ星レストラン「カンテサンス」で働き始めたのですが、連日満席、キャンセル待ちも組ほどという状況。感覚はずれるもので、「ティルプス」を始めると、当たり前のように空席が出ることに、ショックを受けていました。
「ティルプス」の閉店は、契約問題や借金の返済が滞ってとか、そういったことが理由ではりません。「やめたくなった」、単純にこれが一番の理由。自分が毎日をこなすだけになっている不甲斐なさ、シェフやパティシエなどスタッフの入れ替えでのストレス、ゴールも見えずギリギリの経営を続けていくことに、耐えられる自信がなかった。成功の概念は人それぞれですが、いい時期なんてこれまで一瞬たりともなかった気がします。
某テレビ番組の最終回で出演者が泣いたり笑ったりするのを見ていたら、店の最終日は笑ってすべてを終わらせたいと考えたんです。それなら先に宣言すればいいと思い立ち、すぐに「2年後に閉店します」と、SNSに投稿しました。
それと、元々やめる気で店を始めたという面もあります。ビートルズになりたかったんです。ビートルズの活動期間はたった8年ですが、そんな短期間で生まれた曲の数々が、今でも世界中の人に愛されている。だから店を始めるとき、「数年間でさまざまなコンテンツを仕掛け、そこで得た経験や人脈をベースに、その後の自分の人生を設計しよう」と、本気で思っていました。
閉店と同時に借金が完済できるわけではありません。店をオープンした29歳の時よりは学習していますが、行き当たりばったりな性分は変わりそうもありません。夢も目標もいまだかつて持ったことがない。ただ、自分に一番期待しているのは「自分」です。
辛いことを乗り越えたことで、成長を感じることもありますが、耐性が強くなっただけかもしれません。ハイリスクなら、終わりはハイリターンがいい。お金は戻ってこなかったけれど、ジタバタ生きてきたこの数年間に、最高におもしろい友人がたくさんできました。それだけで、「ティルプス」を始めた理由と誇りを持てています。
Q. 「独立開業に向いている人ってどんな人でしょうか?」
気づきが多い人だと思います。お客さまよりもチームに奉仕できるほど、いろんなことに目が行き届く人が向いている気がします。優しい人もいいですね。どちらも当てはまるのが、「カビ」の安田翔平くん。「ティルプス」のオープニングで大阪から出てきてくれたのですが、ボクが友人たちと仕事の後に飲み始めると、チャーハンとかをサッと作ってくれたりする子でした。自分が当てはまっているかと言えば「?」ですが。
大橋直誉
フードキュレーター&「ティルプス」オーナー
1983年北海道生まれ。調理師学校卒業後、東京の「レストランひらまつ」に入社。退社後は、フランス・ボルドー二ツ星 「コルディアン・バージュ」のソムリエに。帰国後、白金台の三ツ星レストラン「カンテサンス」で働いたのち、「ティルプス」を開業。世界最速でミシュラン一ツ星を獲得。 現在は、店舗にてサービスを務めながら、フードキュレーターとしても活躍する。
本記事は雑誌料理王国291号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は291号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。