小学5、6年生の頃だと思いますが、給食に出て「おいしい」と思った料理を家へ帰って再現していました。もちろん作り方は自己流です。
東京・浅草の鞄問屋の生まれで、母は朝から晩まで仕事に追われていました。少しでも母を助けたい、その一念で、夕飯を作っていました。
そんなある日、NHKの『きょうの料理』に出演していたコックさんに目が釘付けになりました。料理を作る姿が、この上なくかっこよく、とても印象的だったのを覚えています。「料理人になりたい」と思ったのはこのときです。私をこの世界に導いてくれたテレビの中のコックさんは、後の私の生涯の師となる村上信夫ムッシュ、その人でした。
18歳の私が帝国ホテルに入社。その当時の村上ムッシュは、私にとって雲の上の存在でした。最初に配属されたのは、人事厚生課の従業員食堂。その半年後に念願の調理部に異動したのですが、そこはレストランや宴会場の調理場で使用した鍋を、ひたすら洗う「鍋屋」と呼ばれるところでした。早朝から夜遅くまで鍋を洗い続け、精神的にも肉体的にも非常に辛かった。ただその時代に多くの先輩と接することができ、調理部内での人間関係が築け、とても大切な時間だったと思っています。
そして1970年の新本館のオープンとともに、サプライに異動。料理長である村上ムッシュの指揮のもと、やっと料理人としての第一歩が始まった、と興奮したのを今でも鮮明に思い出します。
それから数30年。村上ムッシュとは、叶わぬ夢となってしまった無念な約束があります。2005年5月18日、ロイヤルウエディングのニュースが日本中に流れました。この年の11月5日に、帝国ホテルで紀宮さまと東京都職員の黒田慶樹さんの結婚式が行われることが決まったのです。料理の陣頭指揮をとるのは私。まずは顧問だった村上ムッシュに歓びの報告をし、「つつがなくご婚礼が終わったら二人で乾杯いたしましょう」と、約束を交わしました。しかし、村上ムッシュは、この年の8月2日、死去されたのです。
今回の私のスペシャリテ「和牛ロース肉のポワレとほほ肉の赤ワイン煮の取り合わせ トリュフソース」は、ウエディングのための料理です。和牛のおいしさを、ポワレと赤ワイン煮の二つの趣向で楽しんでいただこうと、考えたひと皿です。
帝国ホテルのフランス料理は、昭和初期に料理長を務めた石渡文次郎さんが「ホテル・リッツ」で学んだエスコフィエの料理が礎となっています。このスペシャリテも、帝国ホテルの伝統の味であるビーフシチューをベースにしつつ、見た目も工夫して赤ワイン煮に仕立てています。この料理のように、帝国ホテルは「伝統とは革新とともにある」という言葉とともに歩んできたのです。
私はいつも村上ムッシュからもらった包丁を、机のそばに置いています。これまでこの宝物から、数えきれない程の勇気や励ましをもらい、多くの場面で支えられてきました。
そして、帝国ホテルの料理人として、ホテルマンとして働いてこられたことに、心から感謝し、今後も一人でも多くのお客様に帝国ホテルの味を届けていきたいと思います。
和牛ロース肉のポワレとほほ肉の赤ワイン煮の取り合わせ トリュフソース
帝国ホテルならではの厳選された和牛ロース肉のポワレと、舌の上でとろけるほほ肉の赤ワイン煮。ふたつの旨さが芳醇な調和を奏で、ウエディングの喜びがこの美味なるひと皿に香る。
Kenichiro Tanaka
株式会社帝国ホテル専務執行役員・総料理長。1950年、東京都生まれ。高校卒業後、帝国ホテルに入社。レストラン調理課、宴会調理課、調理部長などを経て、2002年に取締役総料理長兼調理部長となる。2009年6月、調理部長職を離れ、総料理長職に専念。 380人の料理人が働く調理場全体を束ねている。2005年、フランス共和国農事功労章シュヴァリエを受賞。
長瀬広子=取材、文 依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国第237号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第237号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。