2020年9月に、フォーシーズンズホテル東京大手町の開業と同時にオープンした「est(エスト)」。ミシュラン二つ星の「キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ」でエグゼクティブシェフを務めていたギョーム・ブラカヴァル氏と、トロワグロ時代を含めて9年間タッグを組むペストリーシェフのミケーレ・アッバテマルコ氏が、季節感と日本のテロワールを大切に生み出す料理の数々が人気を集めている。そんな二人が考える「贅沢な食材」とは。
「日本で見つけた黄金のような食材」と、ブラカヴァルシェフが目を細めるのが、エコループ社が扱う、千葉県産のオーガニックの青大豆。estとは、感情、季節、風土という、ブラカヴァルシェフが料理づくりの哲学として持っているキーワード。日本の食材をなるべく多く使い、日本の風土を表現するだけでなく、より環境負荷の少ない食をテーマにしている。去年9月の開業以来、パンにバターを添える代わりに、植物性のフムスを提供している。水にひたして茹でた大豆の皮を、滑らかな食感を生み出すため一粒一粒むき、オリーブオイルと共にブレンダーにかけて仕上げる。
「フレッシュで自然な甘味がある。オーガニックなので、サイズにばらつきがあったり、ひび割れがあったりするけれど、ペーストにしてしまうから、気にしない。こういった食材をきちんと使い切ることも、簡単にできるサステナブルな取り組み」と考えているという。
もう一つ、大切にしているのが、様々な酸味を持つ食材。特に、自然に近い農法で栽培している、和歌山県の原農園の梅と柑橘を愛用しているという。
ちょうど柑橘は端境期だったため、使っているのは、南高梅と小梅。
南高梅は、砂糖でマリネしたあと冷凍し、そのあとシロップに1日漬け込んだというもの。
小梅はシロップと酢を混ぜたものでカリカリ梅のように仕上げてある。
こういった「漬け込み液」も料理に使われるだけでなく、梅は種を取り除いて漬け込むため、果肉を纏った種も、白ワインビネガーに漬けておく。そうすると、ほんのりと梅の香味がついた酢ができるため、料理やペアリングのカクテル・モクテル作りにも応用するのだという。
以前、ウーシェの「トロワグロ」に取材に伺い、ミッシェル・トロワグロ氏にインタビューしたことがあったが「未来に残したいフランス料理の伝統は」とお聞きすると「季節に取れた野菜や果物を、コンフィやコンポートにして長期間とっておく、保存食を作る伝統」と語っていたのが印象的だった。実際に、トロワグロのチーズのプラッターには、そんな風に作られた様々なコンポートが添えられていた。
ブラカヴァル氏にとってもこの伝統は身近なもの。故郷・フランスのリール地方で、祖父母は農業を営み、両親が暮らす家には菜園があった。そんな環境で「オーガニックとはうたっていなかったけれども」農薬などを使わず自然に栽培された食材を食べて育った。「フルーツが1本の木から40キロも取れるほど」豊かな土地で、子どもの頃から保存食作りを手伝ってきた。「夏に乾燥させてオイルに漬けたトマトを、冬に食べるのがお気に入りだった。保存食の文化は、日本の干物や味噌のように、どこの国にもあったもの。今改めて、その大切さが見直されていると思う」と、そんな文化そのものを大切に伝えてゆきたいと考えている。
イタリア・ピエモンテ州の小さな街出身のアッバテマルコ氏も、同様の記憶を持つ。両親が使っていた食材は、認定こそされていないものの、オーガニックのものはかり。有機農業を行っていた祖父母の農園に遊びに行き、そこで栽培された野菜を食べ、牛乳は近所の牧場に買いにいく、という暮らしが、今も最高のものだと考えている。「10歳の娘にも、良い食材を食べさせたいから」と、個人的にも、毎日の食に取り入れるのは、オーガニックの食材が中心だ。「良い食材」とは、体に良く、環境に負荷のかからない食材、という意味でもある。
「今は、オーガニック食材はおしゃれな人が使う高級品、というイメージがありますが、昔の農業は全部オーガニックが当たり前でしたし、自分の家族も普通に使っていました。娘が大人になった時に、再び、オーガニックが普通である、という世の中になっていればいいなと思うのです」
そんなアッバテマルコ氏がトロワグロ時代から愛用するのは、岩手県「しあわせ牧場」のヤギのヨーグルト。「しあわせ、という名前通りアニマルウェルフェアに配慮して、放し飼いで育てられたヤギのミルクで作っているのです」そして、もう一つは、日本で初めてオーガニック認証をとった千葉県御宿町の「大地牧場」の牛乳。「千葉県産で輸送の際のCO2排出量が少ないのも魅力です」。どちらも、「シャルトリューズ タラゴン ヨーグルト」のデザートに使っている。
生まれてこのかた、いわゆるファストフード店に行ったことがない、というアッバテマルコ氏。
「私にとってのラグジュアリーとは、見た目の豪華さではなく、本質的な価値、素材にある。例えば、人と地球が健康になる食材を使うこと。誰が作ったかを知ることは、とても大切だと考えています。生産者を知り、環境を守りながらきちんと食材を作っている人を、使うことで支えていきたい。搾取的な労働で作られたものでないことも重要です。もちろん、全部をオーガニックにすることはできませんが、仕事でもプライベートでも、お金を使うなら、少しでも世の中を良くするためのものに使いたいのです」と語る。
シグネチャーのカモミールの花の形の蜂蜜のデザートも、ミツバチが減少している今の状況に危機感を感じてのもの。「体にも、環境にいい、オーガニックの食材を使うことを通して、私たちは、食を通して、未来を考えましょうというメッセージを送りたいと思っているのです」とアッバテマルコ氏は付け加える。
感情(エモーション)、季節(シーズン)、テロワールという言葉の頭文字からとった、estという名前。そこには、未来を考える食への願いも、こめられている。
【店舗データ】
est(エスト)
東京都千代田区大手町1丁目2-1 フォーシーズンズホテル東京大手町 39階
03-6810-0655
https://www.fourseasons.com/otemachi/dining/restaurants/est/
取材・文・撮影= 仲山今日子
仲山今日子
ワールド・レストラン・アワーズ審査員。元テレビ山梨、テレビ神奈川ニュースキャスター。シンガポール在住時、国営ラジオ局でDJとして勤務。世界約50ヶ国を訪ね、取材した飲食店や食文化について日本・シンガポール・イタリアなどの新聞・雑誌に執筆中。