イギリスで最も有名なイタリア人シェフの一人、ジョルジョ・ロカテッリさんが20年以上ミシュランの星を保持してきた旗艦店をクローズし、「ロカテッリ」の看板を引っ提げ新たに挑むプロジェクトとは?
ひどく後悔していることがある。英国を代表するイタリア料理店の金字塔「Locanda Locatelli ロカンダ・ロカテッリ」が2025年、その23年の歴史に幕を閉じて勇退する前に、一度も足を運べなかったことだ。
「ロカンダ・ロカテッリ」は、40年にわたって英国・欧州の第一線で活躍してきたイタリア人シェフ、Giorgio Locatelli ジョルジョ・ロカテッリさん(冒頭写真©Lisa Linder)が、伝統と本質に則って創り上げた極上イタリアンだった。創業の翌年にミシュラン一つ星を獲得して以来、閉店まで20年以上保持し続けたという栄光の実績がある。
閉店の理由は「長年に渡って最高クオリティを維持することへの疲弊、賃料の高騰というロンドンならではの問題、時代の変化に伴うシェフ本人の意志」などがあり、継続年数は違えど、ロンドンにおけるフレンチの最高峰で同じく2024年に閉店した「Le Gavroche ル・ガヴローシュ」と似た状況にも感じられる。同じコンセプトで成功し続けることへの倦怠、時代の変遷。いずれも一時代を築いた名店が誉れのうちに幕引きするという選択をされ、業界の賞賛を浴びた。
そのジョルジョさんが次のステージとして選んだのが、世界の至宝を展観する英国を代表する国立美術館「ナショナル・ギャラリー」内のレストランという、これまでとは全く異なるスタイルへの挑戦だった。


創設200年のナショナル・ギャラリーでは、膨れ上がる美術品の展示スペースを確保するために作った新館「セインズベリー・ウィング」を2年かけて改修し、2025年5月に新しいメイン・エントランスとして再オープンしたばかり。そこへやってきたのが、ジョルジョさん率いる「ロカテッリ」なのである。
これは偶然などではない。ナショナル・ギャラリーにはイタリア絵画がわんさかある。全体の収蔵数からすると3割はイタリアの巨匠たちによる絵画と言われ、このルネサンスの殿堂に真のイタリア好きたちが押し寄せないわけにはいかないのだ。
じつはジョルジョさんは2010年代にイタリア文化を扱ったBBCの人気番組「Unpacked」シリーズに、若き日のジェラール・ドパルデュー似の美術史家とともにプレゼンターを務めていたことがあり、筆者も好きでよく観ていた。イタリアをアートで読み解くカルチャー番組で、ジョルジョさんが食の視点からコメントするというものだったが、「美術も食もイタリアでは切り離して語ることはできない」という立場をとっていたと思う。
その視点は、今回の「国立美術館とのコラボレーション」で、図らずも具現化されてしまった。融合は食とアートだけにとどまらず、ここではイタリアの各地方の名産品を一つの皿の上に盛ることをいとわない。イタリア全土の食を称えようとする試みであり、そこに現代ロンドンの食風景を取り入れているのが、「ロカテッリ」というプロジェクトなのだ。



「ロカテッリにしかできない方法で、アートと食を対話させる」。これはあるイベントでジョルジョさんが発した言葉だ。
「ロカテッリ」では、ナショナル・ギャラリー収蔵の一作品にインスピレーションを得た特別コースを提供するイベントを、折に触れて開催している。ゲストは素晴らしい料理をいただきながら、同館美術史家からその絵画についてレクチャーを受けられるというなんとも贅沢なイベントで、今後も作品を変えながら続けていくそうだ。似たようなコラボを試みるミュージアム内レストランもあるかもしれないが、「ロカテッリ」ほど深く本質を掘り下げることのできる店は少ないだろう。
「ロカンダ・ロカテッリ」を逃した筆者が今回初めてシェフの料理を味わって唸ったのは、その際立った完成度だった。「そうあるべき味」として提供されていることが、一口ごとに分かる。正統を守って丁寧に完成させ、シェフの個性で整える。当たり前のような作業だが、真のマエストロだけが到達できるエフォートレスな「軽やかさ」が、ジョルジョ・ロカテッリの身上だと感じた。
エグゼクティブ・シェフを務めるのは「ロカンダ・ロカテッリ」時代から引き続き重要な任務を背負う南イタリア出身のイマ・サヴィネッリさん。旅することが多いジョルジョさんに代わって、厨房を見事に統率している。

ロカテッリ一族が経営するロンバルディア州の星付きレストランで生まれ育ち、5歳から厨房に出入りしていたというジョルジョさん。本場イタリアの食を骨の髄に染み込ませ、ロンドンに洗練のイタリア料理をもたらした功績は大きい。
筆者もいつかダ・ヴィンチの「岩窟の聖母(がんくつのせいぼ)」をテーマにしたディナー・イベントがあれば、参加してみたい。もちろん、ナショナル・ギャラリー収蔵バージョンで。
Locatelli at The National Gallery
https://locatelliatnationalgallery.co.uk
text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni
