ロバート キャンベルの美味ごころ「ヴェンティノーヴェ」 23年6月号


日本文学研究者で食通として知られるロバート キャンベルさんが、心に残るとっておきのレストランを紹介する本連載。第11回目は都会の喧騒を離れて、群馬県北東部の川場村へ。昨年10月に誕生したオーベルジュ「ヴェンティノーヴェ」を訪ねた。同店のオーナーシェフ竹内悠介さんは元々、妻の舞さんと共に、東京・西荻窪で人気店「トラットリア29」を営んでいたが、帰郷を決意。竹内さんは今、自分が育ったこの土地の魅力を、料理を通して伝えている。

中央線沿線は都内からアクセスがよく、都心と比べて家賃も安価なので志ある若手の料理人は独立しようと思うと先ずここで物件を探すことが多い。前回紹介した鮨なんば(現在・日比谷ミッドタウン)も、焼鳥で有名なバードランド(現在・銀座)も、10年以上JR阿佐谷駅近辺でこつこつと腕を磨き、手ごたえを掴み、お客さんの基盤をしっかり固めた上で現地を飛び出し東京の一等地に打って出るという成功曲線を描いている。

九年間、妻の舞さんと共に西荻窪でレストラン「トラットリア29」を切り盛りしていた竹内悠介さんは、昨年秋、群馬県の北東部に広がるなだらかな山間(やまあい)に静謐な空間を求めた。鮨店も焼鳥屋もそうであったように、いやそれ以上に、中央線沿線に住むわたくしにとっては痛恨事であった。幾度となく西荻の駅に降りては北口から始まるシルクロード商店街をてくてく歩き、ガラスの扉を叩く。扉の向こうには、抜群に美味しい牛肉とワインを友人たちと一緒に堪能できる賑やかな佇まい。竹内さんたちはその建物の再建で閉店を余儀なくされ、戻るつもりで東京をいったん離れたが、コロナ禍がふって湧き、その結果、悠介さんの実家のある川場村で酒蔵を営む土田酒造の敷地の一画にオーベルジュを新築することにしたという。実に素晴らしいロケーションである、と。

竹内シェフと、妻の舞さん。川場村に移り、しばらくは開業準備を進めながら、瓶詰めの通販をしていた。瓶詰めは当時も今も作ると即、売り切れるほどの人気ぶりだ。
窓の外には、利根川水系の薄根川が流れ、春には緑が生い茂る。ブルーやグレーを基調とした内装、ドライフラワーのブーケやポスターなどの装飾などは、妻の舞さんの感性で設えた。
寝室も1部屋備える。

ひたすらお帰りを待っていた古い客からすると「また去られたのか」と一度は思ったものの、訪ねてみると人里から離れただけのことはあり、都心ではとうてい達成できない素晴らしい仕事をしている。オープン直後の11月下旬に初めて訪ね、一泊した。食堂に足を踏み入れると、壁一面に広がる大きなガラス窓には山が映っている。黄落を過ぎた頃、晩秋にふさわしいくすんだ彩りの樹影がみっしりと浮かんでくる。渓谷の下から薄根川の微かな夕霧が立っていたことをよく憶えている。

同店の熱源は薪火。店内にはほのかに、薫香がただよう。オープンキッチンにはグリラーと釡戸を設置。
「イタリア時代に通った、フィレンツェの老舗トラットリアの薪火に憧れて」と竹内さん。

目の前で分厚く切り落としたサーロインステーキをじっくりと薪火で焼きながら、店主は年季の入った大きなうどん鉢を抱え、地元で採れた瑞々しい薬味をバサッと落としサラダドレッシングを和えてくれたのであった。食事を終えると上階の客室に上がり、熱いお風呂に入ってからぐっすり眠れた。翌朝起きて、敷地の中を歩き回ってみると落葉がしっとりと濡れてカーペットをなしている。吸う空気はひんやりと心地よい。無理なく五感を充たすための環境が完璧に整っている。

サラダを和える木鉢は、60年以上前に作られた、うどんのこね鉢。「私の実家の家屋は、地元の農家さんが建てたもの。その納屋から、うどんのこね鉢が出てきたんです。群馬は小麦の生産が盛んですから」と竹内さん。
春のサラダ
多様な食感、香り、味わいが楽しめるスペシャリテのサラダ。直径50cmほどの大きな木鉢に、地元でとれた季節の野菜を入れて、ゲストの目の前で和える。今回は菜の花やカーボンネッロ、ビーツ、ニンジン、雪下から芽吹いたイタリアンパセリ、アクセントとしての干し柿などを具材に。鉢にジャンボニンニクを擦り付けて香りを移し、野菜と自家製ザワークラウドを和えて、オリーブオイルと塩、さらに温泉卵を和えて仕上げた。

長い冬を越えて今回は春にお邪魔した。山の装いは随分と軽くなり、食卓にのぼる食材も格段の鮮やかさを誇っている。川場村を中心に、利根沼田地域から食材を仕入れているが、どれもびっくりするほど豊潤な香を放っている。ウド、菊芋、黄色いビーツ、ジャンボニンニク、平飼いの鶏卵、ピーナッツ、リコッタチーズ。その日の早朝に小川から摘んだという芹の根。春のラビオリにそっと包み込んだ蕗の薹がピーナッツの食感を引き立たせ、絶妙な調和を見せている。赤城牛の骨付きサーロインはほど良い焦げ目が付いている。内側には、脂のきれいに入ったさっぱりと柔らかい肉が香ってくる。東京では感じ得ない季節の微妙な移ろいを確かに捕捉した。便利な場所は去ったけれど、彼らが得たものの大きさを考えると大成功といえよう。

ヴェンティノーヴェの食材は、オリーブオイルなど一部を除き、ほとんどが群馬県産。庭でとれた山菜やハーブ類も活用する。また同店は、地元の日本酒蔵元「土田酒造」の敷地内に建つ。「酒米ではなく食用米で醸す、米をなるべく削らない、など固定概念に縛られない酒造りに強く共感して、店でも土田酒造さんの日本酒を出しています」と竹内さん。ゲストにサーブする水は、土田酒造から分けてもらう仕込み水。
独活(ウド) イチゴ セリ
地元でとれた独活、イチゴは薪火でグリル。店の敷地内に芽吹いた自生のセリはオリーブオイルと和えて、根っこも捨てずに素揚げしてトッピング。下に敷いた、卵黄(卵も地元生産者の平飼有精卵)とパルミジャーノを合わせたソースが、山菜の香りや苦味、イチゴの甘酸っぱさを上手くまとめている。
春のラビオリ
パスタやラビオリの生地は、地粉を使って手打ちする。武尊山山麓で育つ牛の生乳を100%使ったリコッタチーズと、春の走りの蕗の薹を合わせたフィリングを、赤ビーツを練りこんだ生地で包んで茹でる。バターが香る黄ビーツのソースを流し、香ばしい深煎りピーナッツや酢漬けの赤ビーツの千切りをアクセントに。鮮やかな赤と黄色、蕗の薹の苦味や香りが春の訪れを感じさせる。
ビステッカ
トスカーナの精肉店に勤め、肉の真髄を学んだ竹内シェフならではのスペシャリテ。薪火のグリラーに入れ、5~6分かけて焼き上げる。使用する牛肉は地元の「鳥山畜産」の赤城牛で、濃厚な赤身と上品な脂のバランスの良さが特徴。「鳥山畜産は仔牛の肥育から流通までを一貫して手がけるので、安定した高い肉質が魅力です」と竹内さん。屠殺して1ケ月後の肉が納品され、さらに店で2週間熟成させてから使う。

竹内悠介(たけうち・ゆうすけ)

1980年生まれ。2001年に東京・広尾「アッピア」入店。06年に渡伊し、トスカーナ、エミリア・ロマーニャ、マルケの名店で修業。トスカーナ郊外の精肉店「チェッキーニ」でも働いた。09年帰国、11年独立。妻の舞さんと共に9年間営んだ東京・西荻窪「トラットリア29」は20年に閉め、群馬・川場村へ帰郷。22年に薪焼イタリアンオーベルジュ「ヴェンティノーヴェ」を開業。

VENTINOVE
群馬県利根郡川場村川場谷地2593-1(土田酒造敷地内)
ディナー 15:00~19:00LO、月火休み
※完全予約制。予約方法はお店の公式HPを確認。不定期で行っている瓶詰めの通販はInstagramで告知。

ロバート キャンベル

日本文学研究者、早稲田大学特命教授。専門は近世・近代日本文学。ニューヨーク市に生まれ、1985年に九州大学文学部研究生として来日した。同学部専任講師や国文学研究資料館助教授を経て、2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授、2007年から同研究科教授。17年、国文学研究資料館館長を経て現職。テレビでのMCやニュースコメンテーター、新聞や雑誌への寄稿、書評、ラジオ番組の企画出演など、活動は多岐に渡る。

text: Robert Campbell photo: Toichi Miura

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