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ロバート キャンベルの美味ごころ「イデミ スギノ」

ロバート キャンベルの美味ごころ「イデミ スギノ」

日本文学研究者のロバート キャンベルさんが、心に残るお店を紹介する本連載。 5回目に登場するのは、今年4月30日、多くの人々に惜しまれながら閉店を迎えた日本を代表するパティスリーの名店「イデミ スギノ」だ。オーナーパティシエの杉野英実さんが作るお菓子は、季節感があふれ、繊細さをたずさえる。また普遍的なお菓子であっても、気が遠くなるほどの手間ひまが込められている。今回は杉野さんの大ファンであるキャンベルさんが、閉店前のイデミ スギノを訪ねた。「生涯お菓子を作り続ける」と語る杉野さんへ、心からのエールを込めて、この記事をお届けする。

杉野さんに初めて出会った日のことをよく憶えている。二〇一七年七月五日、夜。銀座はヤマハホールでクラリネットの名手リチャード・ストルツマンさんとその奥さんで著名なマリンバ奏者ミカさんがボストンから来日し、デュオリサイタルを開くので来ないかと、友人の石川セリさんに声を掛けられ出かけていった。管楽器と木製の鍵盤打楽器が重厚なベルベットリボンのように糾い、結び合って、はらはらと解ほどけていくように美しい緩急を刻む音色であった。

リチャードさんの七五歳の誕生日と重なる公演でもあり、終了後、ミカさんのお膳立てで近くの日本料理店に集まり、祝うことになっていた。急遽招待され、わたくしも合流して、たまたま隣の席に座っておられたのは杉野さんご夫妻で、初対面が叶ったのである。

フランボワジェ

フランボワジェ
キャンベルさんの還暦を祝うパーティのために杉野さんが作ったケーキ。ラズベリーのバタークリームとビスキュイを、ミルフィーユ状に美しく重ねた。「誰かのためにケーキを作るとき、最初に浮かぶのは色。キャンベルさんは赤やピンクだと思いました」と杉野さん。日本ではかつて“ケーキといえばバタークリーム”という時代もあったが、今では生クリームが定着している。そんな中で「杉野さんはバタークリームを再興させた人でもある」とキャンベルさんは分析する。

「これから出てくるバースデーケーキは、実は僕が作ったものですよ」と微笑む杉野さん。五年ほど前の来日で一度お店を訪ね、食べたケーキのあまりの美味しさにリチャードさんはびっくりして、厨房から店主を呼び出したそうである。「マエストロ!」と叫び、その場で自分たちが演奏する楽曲にイメージを合わせて洋菓子を作ってほしいと頼んだらしい。リチャードさんは、ル・コルドン・ブルーで製菓を学ぶほどのスイーツ通であり、意気投合するのも必至だったのだが、二人の交流はここから始まったのである。パティシエの巨匠・杉野英実さんがストルツマンさん夫妻の曲を聴きながらどんなイメージが湧き、それをどう洋菓子に「翻訳」しようとしたのか関心があったので、先日、改めて本人に訊いてみた。

ポウショコラマロン

ポウショコラマロン
「ポウ」とはクレームを陶の器に入れて焼くフランス菓子で、一般的にはショコラ味が多い。重くなりがちなクレームも、杉野さんの手にかかれば、のびやかで軽やかな味となり、ふくよかな香りの余韻が続く。クレームの上には、コニャック香るマロンのアングレーズソースを流して、アクセントに黒コショウを添えた。

モーリス・ラヴェル作曲の「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、優雅で繊細な旋律を展開する名曲である。杉野さんは、それをアントルメに仕立て、イチゴのムースとココナツなどトロピカルフルーツを仕込んだムースを重ねて、甘美で複層的な味わいを表現して「パヴァーヌ」と名づけた。ビル・ダグラス作曲の「アイリッシュ・スピリット」は、哀愁もあってなだらかに流れる川のようなメロディが特徴だが、そのバラードに触発され作ったお菓子は同名のマカロンであった。真ん中にイチゴとミントのジュレを据え、ミントのバタークリームでそっと包くるみ、みじん切りにしたフレッシュミントの葉が転々と散る薄緑のパター・マカロンで景色を整えている。「曲を聴いたその時、崖があっ

て、海が見えて、ミントのイメージが湧いた」と杉野さんが回想する。楽曲から生まれたいくつものスイーツを携え、杉野さんはストルツマンさんたちとの共演でSuite Sweets Concertという公演まで実現したのであった(東京、二〇一五年九月)

ネオ

ネオ
マスカルポーネとフロマージュブランを使った軽やかなムースに、マンゴーのムースを合わせた。ビスキュイにバジルをとり入れたのは、フランスで出合ったある料理がきっかけ。「フランスで、とあるガラパーティに参加したとき、アペリティフに供されたフィンガーフードにインスパイアされました。コルネ状に巻いたマンゴースライスに、マスカルポーネとバジルの葉っぱが添えられたアミューズに共感したんです」と杉野さん。お菓子の世界の流行をとり入れることはあまりなく、料理人の仕事から着想を得ることが多いそうだ。

銀座の夜に話を戻そう。リチャードさんによる即興演奏に続き、杉野さんが料理店の厨房から黄色のケーキを取り出して自ら運んできた。白いスポンジにパッションフルーツをたっぷり練り込んだバタークリームなどを八層に重ね、上にはリチャードさんの大切な相棒のクラリネットと、黄色のバラ、葉っぱを模した砂糖細工を飾り、緑の蝋燭を灯していた。夏の海岸に燦々と照る太陽と、吹き抜ける一陣の風のごとく明るくてハッピーな祝いの心をわたくしは見たのである。

タルトレットオランジュ

タルトレットオランジュ
杉野さんがパリの「ペルチエ」に入るきっかけとなったタルトレット。「まだお金もない時代で、ペルチエで買ったタルトを紙ナプキンに包んで、歩きながら食べたんですね。それがとても美味しくて。ここで働いて作り方を学びたいと思いました」と杉野さん。香ばしく焼き上げたタルトに、オレンジのクレームを入れて、さらに風味を強めるためにオレンジのジュレもひそませている。カリッとした表面と、中身のなめらかなクレーム、食感の対比にも注目だ。

一つの感覚(=音)によって異なる感覚(=味わい)を得る現象を共感覚と言う。杉野さんが作る数々のお菓子は、その共感覚に加えて、「人柄」が透けてみえるから真似することのできない感動を我々に与え続けている。彼が踏むであろう次のステージを、目と耳と、飽くなき食欲をもって見守り、ファンとして伴走していこうと思っている。

杉野英実

1953年、三重県生まれ。1979年に欧州へ渡る。フランスやスイスのレストランでデセールを担当、特にパリでは「ジャン・ミエ」「モデュイ」「ペルチエ」といった名店で修業した。帰国後、1992年に神戸・北野で「パチシェ イデミ スギノ」を開店。2002年12月には東京・京橋に活動の場を移し、「イデミスギノ」を開店した。
2022年4月末、「イデミスギノ」を閉店し、杉野さんは次なるステージへと向かう。

杉野英実 1953年、三重県生まれ。1979年に欧州へ渡る。フランスやスイスのレストランでデセールを担当、特にパリでは「ジャン・ミエ」「モデュイ」「ペルチエ」といった名店で修業した。帰国後、1992年に神戸・北野で「パチシェ イデミ スギノ」を開店。2002年12月には東京・京橋に活動の場を移し、「イデミ スギノ」を開店した。 2022年4月末、「イデミ スギノ」を閉 店し、杉野さんは次なるステージへ

イデミ スギノ
東京都中央区京橋3丁目
(2022年4月30日閉店)

ロバート キャンベル

日本文学研究者、早稲田大学特命教授。専門は近世・近代日本文学。ニューヨーク市に生まれ、1985年に九州大学文学部研究生として来日した。同学部専任講師や国文学研究資料館助教授を経て、 2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授、2007年から同研究科教授。17年、国文学研究資料館館長を経て現職。テレビでのMCやニュースコメンテーター、新聞や雑誌への寄稿、書評、ラジオ番組の企画出演など、活動は多岐に渡る。

text: Robert Campbell photo: sono(bean)

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