男性社会といわれてきた料理界において近年、女性シェフの活躍がめざましい。ファニー・レイさんはそのひとりだ。
幼い頃から料理に興味を持ち、海軍にいた父に憧れて海軍の料理人を目指したこともある。2012年から南仏プロヴァンスで「ローベルジュ・ドゥ・サンレミ・ドゥ・プロヴァンス」のオーナーシェフを務め、2017年に一ツ星を獲得した。自身もミシュランガイドが表彰する「プリ・ミシュラン」で初の「2017女性シェフ」に選ばれた。
体力、気力を求められる世界で成功を手にしたレイさんに、テロワールへのこだわりなどを聞いた。
──日本で興味がある食材と出会えましたか?
普段は日本の食材は使いませんが、今回のために、いろいろなものをリサーチして、アジや、シイタケなどのキノコ類、海苔や海藻をたくさん使って料理しました。日本に来たいちばんの楽しみは、日本の食材に触れられることだったのでワクワクしました。その一方で、フランスで手に入る日本の食材と、本物とはまったく違うことに驚きました。
──たとえば、どのような食材?
醤油です。フランスではこれまで、おいしいと感じたことはありませんでしたが、日本でテイスティングした醤油は別物でした。
──日本の菌を使って発酵させる醤油は輸出が難しく、フランスには発酵させない〝醤油もどき〟が多いと聞きます。実際に日本の食材を使ってみていかがでしたか?
たとえば同じ魚でも、日本とフランスでは姿形からして違う。おもしろい経験でした。「ガラディナー」での私の担当は魚料理で、食材にはホタテを選びました。フランスではサンジャックといい、私の代表的な料理のひとつなんですが、日本のホタテとは形から違います。
──調理法も変えたのですか?
ホタテとポワロネギをあわせ、殻を木の洗濯バサミで挟んでエチュベにするのは同じです。今回は、ホタテのワタで作るソースに日本酒の「獺祭」を使い、ポワロネギには日本産のサフランをあわせました。
それぞれの素材が持つ個性がみごとに調和して、すばらしいおいしさでした。
──軽さとやわらかさが特徴の、レイさんらしい料理ですね。
私は、料理にはいわゆる塩を使いません。食材の風味を活かしたいので、塩分が必要な場合には、海藻を低温のオーブンに入れ、時間をかけて乾燥させたものから抽出したエキスを利用します。
──テロワールを大切にしているからこそのこだわりでしょうか。
プロヴァンスと地中海の食材からインスピレーションを得ています。地中海には、色彩豊かな農作物や地元の魚介など、特有の味わいを持つ食材が豊富にあります。料理を考えるうえで、香りや色彩も味と切り離せない要素。それぞれの季節に応じた味、色、香りを持つテロワールを大事にしています。
──食材を選ぶ時に重視していることはありますか?
とくに魚には気を使っています。漁獲量が激減しているものや、養殖ものは使いません。店に売っていない、みんなが知らないような天然の地魚など、なるべく地元でたくさん獲れる魚を使うようにしています。
──料理人という男性社会にレイさんを導いたのは何ですか?
母の影響ですね。私はブルゴーニュの出身で、母がよくブルゴーニュ料理を作ってくれたんです。冷蔵庫にはいろんな種類のスパイスやハーブが入っていて、それを見つけては嗅いでみたり口にしてみたり。好奇心が強く、小さい頃から母といっしょにお菓子も作っていました。
──15歳でプロになることを決めたそうですが、ご両親の反対は?
私が料理好きなことは、両親も知っていたので反対はしませんでした。それで、15歳になると進学はせず、フランス各地で料理の修業を始めました。最初に働いたのは、高級スキーリゾート地ムジェーヴにあるオーベルジュです。
──海軍に入隊されたこともあるそうですが、どういう理由で?
父が海軍で働いていて、その姿がすごくカッコよかった。船に憧れ、海軍の料理人になろうと思い、入隊も申請しました。でも当時は、女性が海軍で働くのは珍しかった。受け入れ準備が必要で、それに時間がかかり、許可が下りたのは17歳の時。ところが別の部署に配属され、船に乗れないまま数カ月が過ぎ、このままだと自分のやりたいことができないと思って除隊しました。
──そのあとパリへ?
修業先にパリを選んだのは、ガストロノミーを学ぶためです。いろいろなレストランのドアを叩きましたが、唯一受入れてくれたのがオテル・リッツでした。
──採用された理由は?
私の経歴を見ておもしろいと思ってくれたのでしょう。情熱はありましたが、技術はありませんでした。最初に面接してくれた方が私のことを理解して、ボキューズ・ドール世界大会の優勝者でもあるシェフ、ミシェル・ロット氏に紹介くれて。おかげで、すぐに採用されました。
──リッツで何を学びましたか?
お世話になった4年半の間に、前菜、魚料理、肉料理といろいろな部門を経験させてもらいました。ラングスティーヌといった高級食材の扱い方からソースの作り方まで、ガストロノミーの基本は、すべてここで身につけました。
──一流の世界で、しかも女性が働くのは苦労もあったのでは?
上下関係や規律が厳しく、女性が少ないという点でも、海軍での経験が役立ちました。でも、どんなに辛いことがあっても、その先の世界に行きたかったので、苦にはならなかったし、ロット氏の元で働けることは幸せでした。技術も人間性も、私が知る最高のシェフと出会えたことは幸運だったと思います。すばらしいシェフとの出会い前向きな性格が成功を導いた
──リッツを辞めて、プロヴァンスに移った経緯を教えてください。
パティシエの夫と出会ってしまったんです(笑)。夫とはリッツ時代に出会い 21歳で長男を出産しました。じつは、夫の兄は料理人で、プロヴァンスにある二ツ星のレストランのシェフに就任した際に、私たちに声をかけてくれて、三人でその店に行くことになりました。
──子育てと料理人の両立は、さぞかし大変だったのでは?
二人の子どもに恵まれ、長男はもう15歳になりました。幸いにも義母が理解のある人で、子育てを手伝ってくれました。でなければ、きっと両立できなかったですね。
──それから6年ほどで自分の店を持ったのはすごいですね。
移住した頃から独立を考えていたので、オーナーにもう一軒のオーベルジュを自分に任せて欲しいと直談判したんです。1年ほど支配人を務め、経理やマネージメントを学び、それから店を持ちました。
──あなたは賢くて意志も強い。それが成功の理由でしょうか。
夫を含め、ターニングポイントとなるすばらしいシェフたちとの出会いに恵まれました。もちろん、私に力を与えてくれる子どもたちの存在も重要です。しかしそれ以上に、つねに「満たされたい」という乾いた気持ちがあり、今日よりも明日の方がいいはず、と前向きに生きてきたから、今の自分があると思います。
──成功を目指す未来のシェフたちにアドバイスをお願いします。
女性のトップシェフはフランスでも数が少なく、オーナーシェフとなるとほとんどいません。とくに女性は「できる」ことを示さなくては先に行けません。ですが、それを証明できればチャンスは広がります。厳しい、けれど楽しい。シェフは世界で一番素敵な仕事です。
──夢のある話に勇気をいただきました。ありがとうございました。
Fanny Rey
フランス、ブルゴーニュ生まれ。15歳でプロの料理人を志し、各地のレストランで修業を始める。一時海軍に入隊するものの、18歳の時にパリのオテル・リッツに就職。メインダイニングで研鑽を積みながら、長男を出産。4年半リッツに勤めた後、パティシエの夫とプロヴァンスへ。2012年に「ローベルジュ・ドゥ・サンレミ・ドゥ・プロヴァンス」をオープンし、2017年に一ツ星を獲得。
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民輪めぐみ=インタビュー 御門あい=構成 依田佳子=撮影 (株)オーダス=取材協力 interview by Megumi Tamiwa text by Ai Mikado photos by Yoshiko Yoda special thanks to AUDACE Corporation