食の未来が見えるウェブマガジン

【永久保存版】平成食の記憶VOL9〜平成25年 和食が文化遺産に


平成25年(2013)
和食が文化遺産に

ユネスコ登録から各国料理の「和食化」が進んだ
銀座 小十 奥田 透さん

銀座のほか、パリやニューヨークにも日本料理店を構え、「真の和食」普及に意欲を見せる奥田透さん。高校を卒業して修業に入ったのが、平成元年だ。料理人としての人生は「平成」とともに始まった。当時はバブルが崩壊したとはいえ、依然として日本料理の世界では料亭が主流だった。そこで、「修業するなら料亭でと、多くの人たちが京都や大阪の料亭での修業を希望しました」と奥田さんは30年前を振り返る。

魚使いをマスターする外国人シェフも増えていった

「料亭の特徴は、床の間のある座敷、手入れの行き届いた庭、趣ある器、仲居さんによる接客など。料理の品数はそれほど多くないが、いずれも美しく作り込んだものが主流」庭を眺めながら、非日常の華やかな料理と美酒をゆったり味わうのが料亭の醍醐味だ。しかし、平成も半ばを過ぎると、その様子は一変する。奥田さんが地元静岡で開いた和食店を銀座へと移した頃だった。
「フランス料理界と同じように、日本料理の世界でも、料理人の名前を前面に出す個人店が登場してきたのがきっかけです」。個人店では、料亭のような規模を維持することが難しい。当然、店の造りや雰囲気に伴って、料理の内容も雰囲気も変わっていった。カウンター形式で、畳の部屋や庭は設けず、多皿のコース料理をスピーディーに提供する店が増えていく。「同時に鮨店がスタイルを変えて、にぎりだけでなく、料理やつまみを多用するようになった。日本料理店と鮨店の境目がなくなっていった時期でもありました」こうしたなか、和食はブームとなって世界に広がっていく。やがて、それはフランス料理やイタリア料理にも影響を及ばすようになった。

「世紀のシェフと称えられたロブション氏が、カウンター形式で、軽くて繊細なコース料理を提供するようになったのも、和食と無関係ではなかったと思います。『平成』 はグローバル化が進み、世界中の料理が和食化していった時代とも言えるのではないでしょうか」しかし、日本料理を理解しようと試みる海外のシェフたちは、幾度か「壁」に突き当たる。最大の壁は、魚の処理や調理法だった。「生のまま」を原則に、調理してもおいしく仕上げる下処理や熟成、火入れ。多くのシェフがその技術を日本人から学びたがった。奥田さんは、外国人シェフを店の厨房に招いたり、講義の場に出向いたりして「魚」について積極的に伝えてきた。そして2013年、和食はユネスコ無形文化遺産に登録された。

「日本料理のコースから、鮨、そば、天ぷら、和菓子まで、日本と同じレベルものが世界中で食べられる。それが私の抱く“成功”のイメージです」。奥田さんのまなざしは、常に世界に向けられている。

平成28年(2016)
インバウンド訪日外国人数 2000万人を突破

2012年発足の安倍政権では、観光立国実現に向けて精力的に取り組んだため、8年後の目標に据えていた2000万をわずか4年で突破した(平成28年、2400万人)。その後も訪日外国人は増え続けている。なかでも多いのは中国と韓国からの旅行者で、全体の約半数を占める。増加の主な理由としては、日本文化への関心の高さが挙げられる。和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、海外の和食ブームに拍車がかかり、さらに日本製の電化製品やアニメも人気を集めている。格安航空会社の日本への増便も大きな理由とひとつ。

ユネスコ無形文化遺産
ユネスコ無形文化遺産登録は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の事業のひとつで、2003年の第32回ユネスコ総会で採択された条例に基づいて決められている。対象となるのは、民俗文化財、フォークロア、口承伝統など。これまでに認定された無形文化遺産には、各国の音楽、舞踏、祭り、儀式のほか、日本では和紙や和食などが挙げられる。

奥田さんにとって平成とは?
フランス人がフランス料理に揺るがぬ自信を持っているように
日本人も和食を誇りとすべき時代

今後の課題として、「日本人自身が和食の価値をもっと認めて、誇りを持つべきではないか」と奥田さんは言う。見習いたいのはフランス人のフランス料理に対するプライドだ。「平成」には、スペインにフェラン・アドリア氏が登場して、料理界の常識をくつがえした。フランス人は、その才能や斬新さを認め、影響も否定しなかったが、「フランス料理が世界一」という姿勢も崩さなかった。
「和食のユネスコ登録を機に、外国人観光客も増えて、目的のひとつは達成されたかのように思えます。でも、これは序章に過ぎないでしょう。日本人は、『和食は日本人にしかできない』『日本人にしか理解できない』『日本の食材でしかできない』などと固定観念を抱きがちですが、まず、そこから打ち破っていかなければなりませんね」

「平成」になって客層が変わった 季節感や出汁の大切さを伝えたい

若い料理人たちには、銀座や祇園にこだわらず、どんどん世界に出て行ってほしい。パリやニューヨークへの出店を進めたのは、そんなメッセージも含んでいる。「そうしないと、本当の意味で、和食は『世界食』にはなりません」最近、「日本人に対しても、和食の真髄を伝える必要がある」と感じる。かつて銀座の高級料理店の贔屓筋は大手企業の重役たちだった。彼らは昇格をきっかけに通う店のランクを上げた。日本料理を理解し、旨いものを知り尽くしていた。
しかし、「平成」になってから、客層が変わった。「若いお客さまが増え、食に対する経験が少ない方もいます。そういうお客さまは、和食の奥深さや繊細さより、高級食材を好む傾向が強い。もちろん、そうしたお好みにも対応しますが、若い方に季節感や出汁の旨さなど、和食の本当のよさを理解していただく努力もしていきたいと思っています」。和食を世界各国で愛される世界食に……。「平成でやり残したことはまだたくさんあります」と奥田さんはますます闘魂を燃やす。

キンキの炭火焼き
「最新鋭の料理機器が登場する一方で、なぜかアナログの炭火焼きに興味を抱く外国人シェフが増えています。オイルも香草も使わず、塩をふって焼くだけなのに、これほど魚の風味と旨味を引き出す調理法はほかにない。そのことに気付き始めたんですね」。こう語る奥田さんとって、炭火焼きも守っていきたい調理法のひとつ。

上村久留美=取材、分 依田佳子=撮影

本記事は雑誌料理王国2019年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2019年3月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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