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原点の人「コート・ドール」斉須政雄さん


僕はただ、ありのままの姿を見せているだけ

 東京・三田の「コート・ドール」といえば、日本のフランス料理界を代表するレストランのひとつ。1986年の創業より、これまで多くの優れた料理人を輩出してきたが「僕は(下の人間を)育てようと思ったことは一度もありません。むしろ、若い人たちに育ててもらっている感覚がある」とオーナーシェフの斉須政雄さんは言う。

 斉須さんがスタッフを選ぶうえで最も重視しているのは、“気立てのよさ”と“健康であること”。

「大切なのは順応できるかどうか。能力は毎日の習慣が築き上げるものだから、学歴や技術は関係ない。習慣を体に叩き込むしかないんです」

 斉須さんがスタッフに対して一方的に命令することはない。また、厳しく叱ることがあっても、決してあとには引きずらない。店の掃除は自ら先頭に立って行い、相手が頼んだ仕事を終えれば「ありがとう」「ご苦労さん」と労いの言葉をかける。

 こうしたリーダーとしての在り方は、斉須さんが今も師と仰ぐパリ「ヴィヴァロワ」のオーナー、クロード・ペイロー氏に学んだものだ。

「シェフはいつだって率先して店の掃除をしていた。そしていつも、『私のために働いてくれてありがとう』と声をかけてくれたんです。それがうれしくてね。だから僕も同じようにしている。みんながいてくれるからこそ、僕は店を続けられるんです」

 斉須さんにとって、ともに働くスタッフは家族そのもの。だから一人ひとりを心から尊敬し、信頼し、ありのままの自分を見せているのだ。

自分の店を、自分の手で掃除するのは当たり前のこと

 かつてコート・ドールで修業をしていた料理人の多くが、印象に残っていることとして挙げるのが、前述のとおり、斉須さんが自ら店の掃除をしていることだ。掃除を行うのは、朝の仕込み後、ランチ終了後、夜の仕込み後、ディナー終了後の計4回。日によって、床の雑巾がけをはじめ、蛍光灯や排気管等、一般家庭であれば大掃除の時ぐらいしか掃除しないような場所も日常的に掃除している。いつだって隅々までピカピカに磨き上げられたキッチンは気持ちがいい。それが当たり前と感じられるようになる頃には、掃除の習慣が身に付いているはずだ。また、斉須さんは物を大切にすることでも知られている。クリストフルのカトラリー、鍋類などの調理器具、店の備品の多くは、開業当時から使い続けているものだ。「ここは僕のお店。誰よりも一番大切に思っているのは僕なんだから、自分で掃除をするのは当たり前のこと。お皿一枚、ふきん一枚とっても、すべて僕のもの。お金を稼いで、備品を買って、店を維持していくのは、本当に大変。全然格好いいことじゃない」

繰り返しの日常の中で何を見聞きし、感じ取るか

日常とは、基本と反復。一方で、同じことの繰り返しのように感じられる毎日の中には、驚くほど多くの出会いや経験が詰まっている。

「若い頃は色んなことがうまくいかないよね。でも、思いどおりにいかないって、本当は素晴らしいことなんだ。苦労した経験やその時に身に付いた耐久力は、後になって必ず生きてくる」そう言う斉須さん自身も、23歳より12年間にわたるフランスでの生活で得た経験が、今も原動力になっているそうだ。毎日、店の掃除をしながら、厨房で野菜の皮をむきながら、鍋を磨きながら、さまざまな記憶が鮮明に蘇る。

 ベルナール・パコー氏とともに開いたレストラン「ランブロワジー」で誕生した「赤ピーマンのムース」もフランス時代の思い出が彩る料理のひとつ。また、長年にわたって作り続けるこの料理は、この店を訪れるお客にとっても郷愁を誘う一品である。「作りながら、この人とこんな話したな……なんて色んなことを思い出す。僕は決して料理は上手じゃないからね。今だって、もっと上手になりたいと思いながら作っているよ」人を愛し、食材を愛し、仕事を愛する。斉須さんは自らを“無様”だというが、そのあるがままの姿が、多くの若手料理人に「この人のようになりたい」と夢を与えるのだろう。

赤ピーマンのムース
「コート・ドール」の創業以来作り続けている定番メニュー。丁寧に裏ごしした赤ピーマンを生クリームと合わせたムースの下には、さっぱりとしたトマトのクーリ。アミューズとして1スクープで提供するほか、アラカルトでの注文も可能。

Masao Saisu
1950年福島県生まれ。1972年六本木「レジャンス」入社、73年渡仏。「ヴィヴァロワ」、「タイユバン」などを経て1981年にベルナール・パコー氏とともに「ランブロワジー」を開く。開店2年目で史上最速の二つ星を獲得し、話題を呼んだ。1985年に帰国し、翌年に三田「コート・ドール」料理長に就任。1992年よりオーナーシェフとして現在に至る。著書に『十皿の料理』『調理場という戦場』(ともに朝日出版社)など。

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河西みのり=取材、文 岩本栄作=撮影

本記事は雑誌料理王国第268号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第268号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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