滋賀から激戦区の東京・銀座に移転した篠原さんの店は、たちまち予約の取れない人気店になった。日本料理の名店で修業した後、26歳の若さで故郷・滋賀に店を開いて以降、変わることのない人気。理由は何か――。そこには日本料理の常識を打ち破る、食材に対する篠原さんならではの解釈とこだわりがあった。
修業時代には、食材のよいところだけを使うように教え込まれた。しかし篠原さんは独立後、「渋味や苦味も排除すべきではない」という自分の考えを実践する。すべてが食材の生命だからだ。「人間が良しとする部分だけを切り取った料理には興味がない」と言い切る。篠原さんの料理が斬新で、「繊細」という言葉だけでは表現できない理由がそこにある。
篠原さんが柑橘を使う際には、酸味や甘味だけでなく塩分の代わりにも用い、また、苦味や雑味も尊重する。たとえばスダチは、果汁だけでも十分においしい。しかし、篠原さんは、種子以外はすべて使う。
今回、篠原さんに教わったのは、「スダチ釜」。主食材に付けるソースとして考えたスダチ釜は、スダチの果皮を器にして、その中に細かく切った野菜とスダチの割り醤油の煮こごりを入れたもの。ポイントは、最後にのせるスダチのシャーベットだ。このシャーベットは、果肉の袋や白いワタの部分まで、すべてを凍らせてから細かく刻んで作る。
シャーベット状にすると冷たいので、舌で苦味を感じるまでに時間がかかる。「少し後からくるかすかな苦味はピュアで、嫌な味に感じないと思います」。使う以上は効果的においしく。篠原さんらしい工夫が活きる。
篠原さんがよく使う柑橘は、ユズとスダチ。クセや脂の強い食材と合わせる際は、とがった酸味のスダチを用い、食材を甘味のある酸味でやさしく包みたい時にはユズを使う。
ユズもまた、スダチと同じように丸ごと使いを心掛ける。
「ユズジャムを作る場合、日本料理ではユズの皮だけを甘く煮て、"編み笠ユズ"に仕上げますが、私のやり方は違う。種子以外のすべてを砂糖水に入れて煮込むんです」
こうすることで甘みと酸味のバランスのよいジャムになり、たとえばジビエなどに合わせると、ジャムの酸味が、肉の雑味を緩和する効果が生まれると言う。
「日本料理では、昆布で出汁をとる際にも、えぐ味が出ないように指導されます。でも、干した昆布をかじってみると、当然、えぐ味も感じられる。いわゆる旨味だけでなく、えぐ味もまた、昆布の持ち味なのだと考えながら料理をしています」
自分の舌と感覚を信じ、自然の生命力をひと皿に込める。その感性は、「子どもの頃、滋賀の山中を駆け回ったことで育まれたのかもしれない」。そこで感じたありのままの自然。春、タケノコを掘った時にプンと香ったあの青臭さ。「青臭くもあり、生臭くもあり、そこはかとない甘さもあった」。そこには、人間が操作することのできない野性、自然の息吹が感じられた。
自然の恵みは、人間が価値を決められるほど単純なものではない。だから、ありのままの生命に感謝し、尊重して丸ごと使うと決めている。「開店してすぐに予約で埋まった理由? 評判が先行しちゃってるんですよ」と笑いながら、「理由があるとすれば、型にはまらないところかなぁ」とつぶやく。日本料理という枠を軽々と飛び越えて、フォワグラ、キャビア、トリュフなど、おいしいと思う食材は取り入れる。
「いつも、どうしたらお客さまに喜んでもらえるかを考えているだけなんです」。これは、「どうしたらウケるか」という考えと似ているようで、じつはまったく別のことだと言う。「僕の感性をお客さまが楽しんでくださる。それが一番うれしいんです」
もしかすると、日本料理が変わりつつあるのか――。食通たちは、それを敏感に察知して、足繁く「銀座しのはら」を訪れるのだ。
琵琶マスの柑橘締め、夏猪の冷製、スダチの割り醤油煮こごり寄せ
メインは旬で脂ののった琵琶マスと夏のジビエ。濃厚な味わいでやわらかな食感の肉と魚は、そのまま食べてもおいしいが、スダチ釜の中身をソースにして一緒に口に運ぶと味に変化が出て、さっぱりと楽しめる。
Takemasa Shinohara
1980年、滋賀県生まれ。父親の実家は徳島の料理旅館、父は居酒屋を経営、叔父は鮨職人という食一家に育つ。高校まで有望な空手選手だったが、卒業後、料理の道へ。滋賀の名店「招福楼」、「山玄茶」(現在は京都)等で修業、 26歳で滋賀県に「日本料理しのはら」を開く。2016年、東京に「銀座 しのはら」開店。新境地に挑む。
上村久留美=取材、文 富貴塚悠太=撮影
本記事は雑誌料理王国275号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は275号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。