深紅のマリア・カラス、ピンク色が可憐なモナリザ……。入口のバラの花、みごとでしょう?植え替えや手入れは私の仕事なんです。ここ恵比寿に「モナリザ」をオープンしたのは39歳のときでした。
当時のフランス料理レストランは、キャンドルが灯る厳かな雰囲気の中で、静かに食事をする。そんな感じでした。でも、私は本格的なフランス料理を、もっと笑顔で楽しんでいただきたかった。この想いを込めて、スペシャリテ「牛ロース肉のグリエ 香味野菜のダミエをのせて」は、フレンチならではのソースを活かし、1枚の絵を楽しんでいただけるように、美しく仕上げています。料理を盛り付ける皿も、すべて私がデザインしています。お気づきの通り〝我がシャトー〞の店名は、ルーヴル美術館の名画『モナ・リザ』にあやかりました。
じつはルーブル美術館の裏庭は、20代の私の、汗と涙を癒してくれた場所であり、ルーヴルは、無一文となった私の「人生の分岐点」。まさにアナザースカイでした。
25歳の私は、故郷の宮崎をあとにフランスへ向かいました。何としても本場で修業をしたい。辻調理師専門学校を卒業して大阪で働き、旅費を貯めました。そして、やっとの思いでフランスに着いた翌朝、何と地下鉄のルーヴル駅でジプシーの少年たちに襲われ、お金はもちろん何もかも盗られてしまったんです。涙も出ませんでした。故郷で送別会を開いてくれた友人たちや母の顔が脳裏に浮かびました。このまま、おめおめと日本へ帰るわけにはいかない。
自らを奮い立たせ、ルーヴル界隈を歩き出した、そのときです。眼に飛び込んできたのが、日本語の「アルバイト募集」の張り紙でした。この「伊勢」という日本料理店は、ファッションデザイナーで美食家の高田賢三氏も通う高級店。ここのオーナーが仕事はもとより、住む家も、何もかも世話してくれたのです。
その後、「フレンチの神様」と称されるジョエル・ロブション氏がオーナーシェフとなって一世を風靡した「ジャマン」で働くことができました。ロブション氏は、世界一厳しいカリスマシェフです。じつはその後、「ジョルジュ・ブラン」や、「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ三國清三さんが日本人として初めて働いた「ジラルデ」など、名だたる三ツ星シェフのもとで働きましたが、ロブション氏ほど、材料のバターひとつも厳しく管理し、料理の仕上がりはもちろん、厨房の隅々まで完璧に目を光らせるシェフはいませんでした。
元来、性格の明るい私は「サニー・ボーイ」と呼ばれてきましたが、ロブション氏のもとでは、そうはいきませんでした。その厳しさに耐えかねて、心が折れそうなとき、ひとり、ルーヴル美術館の裏庭に立ちました。不思議と辛さや寂しさが昇華されていく……。あそこには、そんなパワーがありました。
あれから30年余――。今なお、ルーヴルでの幸運の証「モナ・リザの微笑」に感謝せずにはいられません。このスペシャリテにも、その気持ちを込めています。そして、さらに新たなステージを目指したい、と強く願いつつ、恵比寿と丸の内の「モナリザ」の厨房に立っています。
材料(1人分)
牛ロース肉…150 ℊ/塩、コショウ…各適量/A【トマトフォンデュ…30 ℊ/バジリコ…適量/塩、コショウ…少々】/B【ニンジン…1/2 本/塩…少々/白ワイン…少々】/C【ジャガイモ、牛乳、バター…適量】
● 香味野菜のダミエ
トマト…1/2個/黄パプリカ…1/4個/長ナス…1/4 本/ズッキーニ…1/4 本/塩…少々/澄ましバター…少々/サラダオイル(揚げ油)…適量
● ジュドブッフ
牛スジ…1㎏/タマネギ…30 ℊ/ニンジン…30 ℊ/ニンニク…3片/フォン・ド・ヴォー…50g/ブイヨン…2ℓ/タイム、ローズマリー、ホワイトペッパー…各少々
● 仕上げ用
タイム、ミニョネット、フルール・ド・セル…少々/バジルヘッド…適量
作り方
レストラン モナリザ 恵比寿本店
東京都渋谷区恵比寿西1-14-4 1F
03-5458-1887
● 11:30~13:30LO、17:30~21:00LO
● 無休
● ダイニング50席、サロン16席
長瀬広子=取材、文 依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国第239号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第239号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。