「4(フォー)パーミル・イニシアチブ」とは、気候変動抑制をめざす農業分野からのアプローチ。国連が2015年に提唱したこの構想を、日本では山梨県が全国の自治体に先がけ、2020年4月に取り入れた。リオネル・ベカ氏(「エスキス」エグゼクティブシェフ)はその実践農家である中込農園を訪ね、中込恵子氏と対話。東京に戻り、同農園の桃を用いたデザートを考案するとともに、農家に対する料理人の責任について語った。
※4パーミル・イニシアチブの解説、山梨県の取り組み、中込農園へのリオネル・ベガ氏の訪問を紹介する前編はこちら
「私は、決して『自分はすごいだろう!』という料理は作りません。何よりも、『この素材はすばらしいでしょう?!』とお客さまにお伝えしたい。そのために私がいるのです」。
リオネル・ベカ氏の、料理に対する変わらぬ哲学だ。今回、中込農園の桃を用いるデザートを考案したが、その原動力になったのもこの哲学である。
桃は簡単な素材ではない、というのがベカ氏の見解。「なぜかというと、桃はそのままで既においしいから。いじったら、違うものになってしまうと感じました」。
そのため、考案に際しては徹底的に桃に寄り添って思考を巡らせた。「アプローチとしては、桃のみずみずしさと繊細な香り、きめの細かい実の食感を大切にしています」と話す。
そこで今回桃に合わせたのが、ヨーグルトのアイスクリームと、ロゼワインのソース。なおロゼワインのソースは、ラベンダーと桃で香りづけしたもの。「ラベンダー、桃、ロゼワインは私にとって非常に自然な組み合わせ」。ベカ氏が育った南仏プロヴァンスの気候風土の中で、同地の人々に昔から親しまれてきた風味のコンビネーションを参考にした。
この料理のポイントは、桃に少量のせるコリアンダーの花と、ソースに数滴たらすオリーブオイル。コリアンダーの花を噛んだ時にその独特の清涼感が口に広がり、デザートでありながら、まるで料理のような印象がパッと広がって消える。シチリア産のフルーティーで収斂性のあるオリーブオイルも時折香るとともに、油脂分が桃やソースの風味を底上げし、余韻を深める。
「桃、ラベンダー、ロゼワイン、ヨーグルトの組合せは相性がよいものの、どこか予定調和的。そこにコリアンダーとオリーブオイルを加えることで変化をつけています」。
果物が美しく、そのもののアイデンティティがわかるように仕上げることを優先するベカ氏。「私は、料理人は素材の代弁者であるのが望ましいと思っているのです」。
加えて、「生産者の広報部隊であることが、これからの料理人には必要。幸い、料理人は、それができる立場にいます」とも話す。
「先日山梨県を訪れ、中込さんの取り組みをご案内いただき、県が4パーミル・イニシアチブを農家の方々と一緒に推進していることを理解しました。そして私はそのバトンを受け継ぎたいと、改めて思ったのです」。
実はベカ氏は昨年、すでに4パーミル・イニシアチブの取り組みのもとで作られた、山梨県産の桃をデザートに使っていたという。その際は、桃そのものを皿にのせ、桃のデザートを提供する直前にテーブルに運んでお客に見せていた。と同時に、4パーミル・イニシアチブについてごく簡単に伝える。「今年も同様にするつもりです」。
「ポンと置かれた丸ごとの素材のインパクトと、その桃のデザートのおいしい記憶。これらと結びつくことで、4パーミル・イニシアチブはお客さまの頭に定着しやすくなるはず。言葉だけの長い説明よりも、かなり効果的なのでは(笑)」。
また、「お客さま全員とはいかなくとも、たとえば10人中2、3人はレストランからの帰り道に、スマホで4パーミル・イニシアチブについて調べるかもしれません。料理やレストランでのおいしい体験にはそうした力があります」と語る。それは、一人でも多くの人が気候変動への意識を高めることにもつながる。「そういう意味で、私は自分を農家の“広報部隊”だと思っています」。
なお今回の山梨県への訪問で、環境問題について真剣に考えて行動する中込氏の姿勢を「本当にすばらしい。感銘を受けた」とベカ氏は強調する。「人一人ができることは限られています。だからといって絶望せず、行動するのが大事。そのことを思い出させてくれました」。
生産者の自然環境を想う意志はバトンとなって料理人に渡り、お客に託される。「4パーミル・イニシアチブが、食に携わる人たち皆の連携の中でどんどん共有され、育っていくことを望みます」。
そして、それはじきに農業における、環境問題に対する常識のアップデートにつながるに違いない。「大きな変化は、個人の小さな一歩からはじまります。だから一人一人が、絶対に諦めてはいけないのです」。
最後に番外編として、ちょっとしたトピックを。ベカ氏に、故郷のプロヴァンスでの、料理としての桃の食べ方を3種類聞いた。
【白身魚のカルパッチョと桃】
プロヴァンスは桃の名産地。夏になるとデザートだけでなく、料理でも大活躍するという。なおその際は、やや硬めの桃を使うのがベスト。日本で一般的に好まれる、皮がツルッと剥くことができるほどだと熟しすぎ。その前の段階のものを選ぶといい。
さて、その料理だが、たとえば白身魚のカルパッチョと桃の組み合わせは最高だという。「桃は皮付きのまま薄く切り、色か変わらないようレモン果汁をさっとかけておきます。魚は、鯛やスズキなど、なんでも」。皿にスライスした桃と白身魚を重ね、フルル・ド・セル(カリッとした歯ごたえのある大粒の海塩)をふり、オリーブオイルをまわしかけ、胡椒を挽く。
「仕上げは、身近に生えているハーブをちぎってのせます。コリアンダーの花、ルッコラ、ミント、バジル……プロヴァンスのハーブならなんでも合いますね。そしてもちろん、冷やしたロゼワインで乾杯(笑)」。この組み合わせは、今回のデザートにも応用されている。
「これは、日本人が夏にそうめんを食べるくらい私たちにとってポピュラーな料理」と笑う。
【青魚と桃】
白身魚だけではなく、青魚とも桃は合うという。「鰯のマリネでもグリルでもいいですが、これと桃を合わせるのもすばらしい。あまり甘すぎない桃がおすすめです」。
プロヴァンスでは、コリアンダーの花やバジルを合わせる。日本では日本のハーブを合わせるのもおもしろい、とベカ氏。「スダチの表皮をさっとすりおろし、花穂紫蘇を散らしてもおいしいでしょう」。味付けは柑橘果汁とフルル・ド・セル、挽き胡椒、オリーブオイルが定番。白身魚のカルパッチョと桃の料理を参考に。
【タコと桃】
タコと桃の組み合わせは、アペリティフに最適。エスキスではコース冒頭にシャンパーニュを提供するが、桃が旬の一時期、そのおつまみとしてタコと桃の小さな一品を出したことがある。
このエスキスのアペリティフには、レストランの料理らしく、ごくシンプルに見えながら、実際には凝った手数が隠されている。「タコの脚は58℃のクールブイヨン(野菜の軽いだし)で温め、中に火が入ったか入らないかくらいで引き上げます。甘みと風味が一番引き出された状態です」。これを、やや厚めにスライスする。
桃は皮をむいて一口大に切り、ヴェルジュ(熟す前のブドウの実のジュース。フルーティーで酸味が強い)、白ワイン、レモンの表皮のすりおろしでマリネ。品のよい酸味と、さわやかで複雑な風味をからませる。「握り寿司のように、桃の上にスライスしたタコをのせて、一口で召し上がっていただきます」。
もちろん、家庭ではこんなに繊細な調理をしなくても十分おいしい。「ぶつ切りの茹でダコと、同じくらいの大きさに皮ごと、食べやすく切った桃を使います。前述の調味(柑橘果汁とフルル・ド・セル、挽き胡椒、オリーブオイル)とハーブで和えれば、立派な一品になりますよ」。
以上が、プロヴァンスで昔から愛されてきた郷土の味。この夏に試してみたら、桃の新しい魅力を発見できるかもしれない。
リオネル・ベカ
コルシカ島生まれ、マルセイユ育ち。南仏地中海沿いの文化の中で成長する。大学で学ぶも20歳を過ぎてから料理人の道に変更。フランス国内で経験を重ね、ロアンヌの三つ星レストラン「メゾン・トロワグロ」でスーシェフに。2006年、東京「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」のエグゼクティブシェフとして来日。2012年に「エスキス」エグゼクティブシェフに。ミシュランガイド2つ星など、多くの高い評価を獲得する。
エスキス
東京都中央区銀座5-4-6 ロイヤルクリスタル銀座9階
https://www.esquissetokyo.com
山梨県では、「地球温暖化対策に貢献する」という新たな価値を消費者のみなさまに提供する「4パーミル・イニシアチブ農産物」を販売するフェアを開催しています。
実施店舗
サンフレッシュ 高島屋玉川店他、全20店舗
澤光青果 蒲田西店他、全9店舗
無印良品 無印良品 銀座
フェアの詳細、そのほか山梨県で行っている4パーミル・イニシアチブの取り組みについてはこちら
https://www.pref.yamanashi.jp/oishii-mirai/contents/sustainable/4permille.html
山梨県の農畜水産物のPRサイト「おいしい未来へ やまなし」トップページはこちら
https://www.pref.yamanashi.jp/oishii-mirai/index.html
text・photo:柴田泉