ぼくの友人に、仕事でニューヨーク駐在のご夫妻がいる。大手企業のニューヨーク支店に勤務する彼は、バイリンガルの奥様とともに充実した駐在員生活を送っていた。
あるとき日本から、彼の上司とその部下がふたりでニューヨークへと出張してきた。上司は友人と奥様を食事に招待してくれたそうで(といっても店の手配は友人がやったのだが)4人でそのレストランへと向かった。店の前にたどり着くと、日本からやってきた部下がいちばんに走ってドアを開けるので、「まあ、なんて気の利いた男性なのでしょう」と「サンキュー」と言いつつ友人の奥様が最初に店に入った。食事自体は楽しく有意義な時間だったようだが、翌日職場で上司から「君の奥さんは外国生活が長いんだったね。どおりで厚かましいわけだ。あのドアはぼくのために開けたんだと思うが、違うかね」と皮肉られたらしい。
まだまだ日本のおじさんの意識はこのレベルである。60年代、アメリカのドラマが日本に入ってきて、クルマやエレクトロニクスに囲まれた生活に憧れ、日本は高度成長を果たした。でも結局は、そのなかで描かれていたモノばかりに注目し、「レディファースト」という素敵な生活習慣まで見習うことはなかったようだ。
まずレストランの入口の前に立ったら、男性が扉を開け女性を通し自分も続く。もうひとつ言うと、帰りは店のスタッフが開け、女性に続き男性も出て扉の外で挨拶をする形が望ましい。それゆえレストランの扉は間違いなく、入るときに「引く」、出るときには「押す」となっている。
では店に入った後はどうするのか。前回にも書いたが、レストランは他人が所有する空間。本来許可なくツカツカと中に入って勝手に席に着くのは避けるべき。ただ、迎えてくれるスタッフがいない場合(よくあるケース)はどうだろう。それも、訪問して玄関が無人だった場合の家と同じで、女性の肩越しに「ごめんくださーい」「すみません」と叫んでみよう。そのしぐさは多少滑稽で彼女の笑いを誘うかもしれない。でもそれは打ち解けた笑いであって、決して嘲笑ではないことを保証しよう。
無事席に着いてメニューを受け取る。洋・中はもちろん、最近では和食でも意味のよくわからない言葉が書いてある。わからなければ徹底的に聞く、それが大原則。おじさんは大人としてすでに十分立派な存在である。知っていることもたくさんあるわけで、知らないからと自分を卑下する必要はまったくない。むしろ、質問攻めにしてそれに答える楽しみを店のスタッフに与えてほしい。また、どんどん突っ込むことにより、おじさん、同席の女性、スタッフ三者間でのコミュニケーションにも相乗効果が生まれるというものだ。
さらに、おじさんがメニュー選びの際もっとも尋ねなければならないこと、それは値段である。たとえば「メニューには載せていないんですが、今日は新鮮なタイが入りましたので、こちらをソテーしてお召し上がりいただきます」とか、「このお料理ですと(3種類ぐらいのワインを持ってきて)こちらとこちらあたりがよろしいかと」。レストランでは日常的にある風景。
こんな場合は必ず「それは(こちらは)おいくらでしょうか?」と聞きましょう。価格を確認せず「いい感じですね。ではそれで」みたいな注文は厳禁です。値段も気にせずポンポン注文する男性がカッコいいと、世の女性の一部は誤解をしているのかもしれない。でも、レストランにおいて、提案された料理やワインが金額的に妥当かどうか真っ当な判断ができる。それが最高のレストラン賢者であるし、食を愛する女性ならそのことは必ず知っている。また、金額に対する相談はごくごく普通の行為。決してケチだからではないと胸を張ろう。
もうひとつ、示された値段に対してきちんと判断しようとする客には、店側も緊張する。料金的にも満足していただけるようがんばろうと襟を正す。
おじさんが大切な食事を前に、真剣さの意思を店側へも表明するには、お金のことをうやむやにしないに限るのである。
伊藤章良―文、illustration by Yuko Mori
伊藤章良
本業はイベントプロデューサーだが、3年間にわたって書き続けた総合サイトAll Aboutの 「大人の食べ歩き」では、スジの通ったレストランガイドの書き手として人気に。
本記事は雑誌料理王国第148号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第148号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。