「今度は野菜に挑戦する。肉の代わりにニンジンを皿の主役にするぞ」と決心したパッサール氏は、パリから2時間ほど離れたサルト地方に農園を作った。「三ツ星シェフの気まぐれ」と笑われもした。フランス料理の柱は常に肉で、野菜はあくまでも二流食材だったからだ。周囲からは、「三ツ星を失うぞ!」と忠告された。しかし、「野菜のメニュー」は、やがて肉好きのフランス人にも絶賛され、三ツ星も保持した。パッサール氏はまさにパイオニアと言えるだろう。
彼はまた現役の巨匠の中でも驚くほど「子分」が多い。そのうちのひとりパスカル・バルボ氏は、「『アルページュ』を卒業する時、レシピをたくさんもらったわけじゃないんです。それよりも大切な、料理人としての精神、動作のエレガンス、完璧の追及、そういった根本的なことを受け継ぎました。ほかでは誰も教えてくれないことです」と語る。
サンドランス氏から数えて3代目に当たるバルボ氏は43歳。つい最近まで厨房外では、「シェフ」と呼ばれることさえ拒んでいた。2007年に三ツ星を取得した時に一番驚いたのは本人だったと言う。
そんな彼は、01年、誰よりも早く、料理をコース1本に絞ることを決めた。「オープン当時は、ちゃんとアラカルトもあったんです。でも、食材の管理が大変で、無駄も多くて困った。そこでクリストフ(共同経営者のクリストフ・ロア氏)が、『ひとつのコースだけにすれば?』と言ったんです。僕は度胸がないから最初は怖かったんですが、ゲストはこの方法をサプライズとして、かえって楽しんでくれました」
バルボ氏もパッサール氏と同じように、「毎日、厨房でみんなと仕事をすることに喜びを感じている」。だから、彼の店の卒業生もまた、毎日コツコツ料理を創る。自営の小さな店ばかりだ。ヨーロッパ各地、アメリカや南米、アジアやオーストラリア、世界中で「アストランス」の卒業生が自分たちの手で料理を作っている。わずか43歳のシェフの弟子たちが、世界中に広がり、独自のレストランのシェフであることは、今までになかったことだ。
サンドランス氏、パッサール氏、バルボ氏。3人ともパリに1軒の店しかない。私には、この3人がフランス料理の独特な系譜を描いているように見える。12年、フランスの週刊誌「エクスプレス」は、「アラン・サンドランス、フランス料理の反抗者」と題した記事を掲載した。
フランスでは「反抗」することは良いことだ。おとなしく「はい」とばかり答える者よりも、「いや、違う」と反論する人間のほうが評価される社会なのだ。その社会が生んだ3人の革命家。それがフランス料理の輝かしい流れを形成している。
アラン・サンドランスは、啓蒙時代以来侮られていたスパイスを、フランス料理に戻した。新時代を開拓しながら、古代ローマの美食、中世やルネサンスの古書をとことん研究し、フランスの美食家を驚かせた。
ロティシエ(肉を焼く料理人)だったパッサール氏は、その経験を野菜に生かし、肉のように野菜を扱ってグルメたちを驚かせた。
バルボ氏がフランス料理に与えた影響は、「国際性」ではないだろうか。2000年から約8年の間に彼が掘り起こした世界の素材には、シトロン・キャヴィア、ユズ、鰹節、ブラジルの唐辛子、昆布、タイカレー、シシトウ、枝豆、タジェットの花など、ほかにもさまざまなものが挙げられる。
世界中の素材を独自の料理にぶつける度胸のよさも評価に値する。エスコフィエがパプリカを「唐辛子」と呼んだくらい「辛味」に慣れていないフランス人に、唐辛子主体の料理を作ったのもバルボ氏だ。
もっと言うなら、3人の一番の共通点は、「わがまま」かもしれない。マスコミや世論を無視して、自由に料理を創る。ただしこの「わがまま」は、完璧な技術や創造性に裏打ちされている。だからこそ、輝かしい系譜を成しているのである。
料理作家・評論家 増井千尋
本記事は雑誌料理王国259号(2016年3月)の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は259号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。