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「九死に一生を得た」フランス人シェフが、オンラインで高級タルトショップをオープン


渋谷区広尾、閑静な住宅街の一角にあるインターナショナルスクール。その一角で、極上のタルトが作られている。

作っているのは、フランス・ノルマンディ地方出身の、シャルル・アンリ・ルブーグシェフ。若干28歳の若さだが、13歳から働き始めたため、ジョエル・ロブション氏のレストランなど、フランスやイタリア、イギリス、アメリカの三つ星・二つ星レストランを中心に、15年のキャリアを持つ。


3年前に来日、東京の二つ星フレンチで働いていた時に、ルイ・ロブション氏から声がかかり、日本のロブショングループの社長がオーナーの会員制のレストランのシェフに。2年ほど営業していたものの、コロナ禍の影響もあり独立を決意。若く革新的なシェフの才能に惚れ込んだ人々が次々とサポートに名乗りを上げ、ついに自身のタルト専門オンラインショップ「シャルル・アンリ・ルブーグ」を11月1日に立ち上げた。

国産フルーツをたっぷりと使ったデザートタルトだけではなく、パーティーの前菜などにぴったりの、キャビアやウニのタルトもある。チョコレートやキャビア、トリュフ以外は全てが国産だ。価格帯はフルーツタルトが1万6000円〜、ウニがたっぷり乗ったタルトが3万円、白トリュフのタルトは6万5000円と決して安くないが、すでに高級時計ブランドから、VIP顧客へのプレゼントとしてのオーダーなどが相次いでいるという。

実際にお邪魔すると、外国人の先生たちと小さな子供たちの流暢な英語が飛び交い、まるで海外の家のようなスクール。そのすぐ横に、約20平米のプロの設備の整った厨房がある。タルトは一つ一つ、ルブーグ氏自らが手作りしており、例えば、今の季節のオススメ、柿のモンブランは、既製品のピュレを使う店が多い中、低温貯蔵して甘味が増した大粒の栗を自ら茹で、1からペーストを作っている。クリームに使うバニラは、化学合成されたエッセンスやペーストではなく、キロ10万円するという、高価なタヒチ産のバニラビーンズのみ。

3日前の予約で、デリバリー(別料金)か提携先の、銀座にある高級ローズ専門店での受け渡し、という実店舗を持たない受注生産制のため無駄が出ず、その分原価をかけられる、というわけだ。

タルト生地、柿のコンフィチュールと角切りにした生の柿を混ぜ込んだアパレイユに、クリームディプロマ、自家製の栗のシロップ煮を交互に重ね、生の柿のスライスをちりばめ、レモンの酸味の効いたグレーズで仕上げる

コロナ禍を受けて生まれた新しいライフスタイルの中で、注目を集めるデリバリーだが、元々は料理のシェフ。なぜ今、タルトなのか。

「パリに行くと毎日スイーツ店を回るほど」という、元々のスイーツ好きに加えて、長年ロブション氏の元で働き「自分の手で、何か美しいものを作る」ということに魅せられた、と話す。毎日の食ではなく、職人技とも言える手仕事で、ものづくりをしたい。その結果、選んだのがスイーツだった。

ノルマンディーで代々農業を営む家に生まれ育ち、畑で野菜や果物を育てるだけでなく、たくさんの家畜を飼い、家族や親戚たちは、スーパーマーケットに行く必要のない生活を今も送っている。食べるものを一から全部作るのは当たり前、祖母が肉を焼く際に「肉を泳がせるくらい、鍋にたっぷりと入れる」というバターまで自家製だ。「そんな家庭に生まれ育ったから、料理は大好き。4歳の時には、将来は絶対にシェフになると決めていました」

華やかなタルトの裏には、細かい手仕事がある。例えば、みかんのタルトは柔らかい果肉を崩さずに、薄皮を手で一つ一つむいている。そんな仕事も、楽しいのだという。手仕事を重んじる家庭で生まれ育ったことに加え、繊細なタルトには、滑らかなテクスチャのグレーズひとつとっても、星付きの世界のトップレストランで働いた経験が生きている。

5年間。必死のリハビリを経て

最も長く働いたのが、5年間を過ごしたジョエル・ロブション氏のレストランだが、中でもイギリス・ロンドンの店は、「東京のシャトーと同じように、一階がカジュアル店、二階がファインダイニング 、三階がバーという作りで、満席になると180人。毎日、早朝から深夜まで働いていました」中には、1日来ただけで辞めてしまう料理人もいるという過酷な環境。いくら子どもの頃から憧れた仕事とはいえ、辞めたい、と思わなかったのか、と尋ねると「九死に一生を得た体験がある」と話してくれた。

「まだ仕事を始めて間もない頃、一人で食材庫の整理をしていたら、大きなオリーブオイルの瓶が割れて落ちてきた。それで、右の手首を切ってしまって」。骨が見えるほどの怪我だったが、あまりに鋭利に切れた為に逆に痛みは感じず、走って厨房に戻り、シェフが呼んだ救急車で病院へ。「15分遅ければ、出血多量で死んでいた」と告げられた。たった一人で大きな倉庫にいた為、もし失神していたらしばらく見つからず、助からなかっただろう、とも。まさに命拾いしたわけだが、神経を切断するほどの大怪我。「『ディナーサービスに間に合うように戻ります』とシェフに伝えた位、自分では重傷という意識はなかった」そうだが、その後が大変だった。切れてしまった神経をつなぐ手術を何度も行い、仕事に戻れたのは8ヶ月後。「右手は全く動かず、医師からは、まだ若いのだから、勉強し直して別の仕事に就くように勧められた。でも、この仕事は絶対に諦めたくなかった。必死でリハビリをして、5年位でやっと、ある程度動くようになった」という。担当してくれた専門医からは、ここまで回復したのは奇跡だ、と言われたという。

不幸中の幸いだったのは、左利きだったこと。仕事を再開した当初は、右手の感覚がなく、包丁仕事の合間に何度も爪をはいでしまったという。「でも、手首の怪我に比べたらかすり傷みたいなもの。致命的な怪我をしたにも関わらず、幸運にも、続けられているこの仕事はまさに天職」だと感じているそう。

だからこそ、どんな状況でもシェフとしての仕事は続けたい。クリスマス向けのイチゴのタルトの受注も始めた。全て手作業だけに、台数が多いと大変だろう。「クリスマスは徹夜になりそうですね」と伝えると、「これまで乗り越えてきたことに比べたら、どうってことないです」と笑顔が返ってきた。

軽やかで、フルーツの自然な甘味を最大限に生かしたタルト。柿のモンブランは、クリームの濃厚なバニラの香り、栗本来の甘味が生きた、甘さ控えめのシロップ煮、繊細にスライスされた柿にほのかな酸味のあるグレーズのバランスもよく、まさにフレンチラグジュアリーを体現する味。季節ごとに新しい味わいが登場するのも楽しみ。ボックスに入ったプリザーブフラワーとのセットもあり、大切な人へのプレゼントにも良さそうだ。

取材・文・撮影= 仲山今日子  

仲山今日子
ワールド・レストラン・アワーズ審査員。元テレビ山梨、テレビ神奈川ニュースキャスター。シンガポール在住時、国営ラジオ局でDJとして勤務。世界約50ヶ国を訪ね、取材した飲食店や食文化について日本・シンガポール・イタリアなどの新聞・雑誌に執筆中。


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