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【80年代】時代の寵児たちはこうして誕生した。〜シェフをスターにしなさい〜


「キャー!」黄色い歓声が上がる対象は、何も歌手や俳優には限らない。シェフたちだって、きらめくスターなんである。そんな今でこそ当たり前の出来事が始まったのは1980年代後半。店名で今日の行き先を選んでいた人々が、シェフの名前で店を選ぶ時代がやってきたのだ。

あぁ、なつかしい。ファッション女性誌「モア」(集英社)の1987年2月号。そこで私は三國清三シェフのページを担当した。タイトルは「I Love Chef」と記憶していたけど、LoveとChefの間には、ヒャー、Sexy Superの文字が躍っているではないか。アイ・ラブ・セクシー・スーパーシェフだったのか。6ページの特集で、写真は料理カメラマンではなくファッションカメラマンの第一人者増淵達夫さんにお願いした。三國シェフの写真は、初めの見開きこそ厨房での白いコック服姿だが、つぎのページは紫のタイをゆるめに締めたタキシード。ワインのボトルを手に、カメラを見据える姿は、今ならホストクラブのイケメン店長の決めポーズってとこですか。大騒ぎでスタイリストさんに衣装をコーディネートしてもらい、ライティングにも時間をかけ、スタジオで撮影した1枚である。当の三國シェフは「こんなことやるのぉ?」と戸惑ってましたが。そして最終のページをめくればジョギング姿、汗の匂いがする男ミクニがいる。

「かっこいい男にするんだよ」

これがキャップの至上命令。クッキング・ドキュメントというサブタイトルではあるものの、女性誌を毎号飾る男性タレントの追っかけ紹介記事風であり、そのつもりで取材したことをよく覚えている。

20年前、鉄人とかカリスマシェフという言葉が生まれるよりも少し早い時期だった。

若い女性のフランス料理元年であった70年代

70年代、勝又登、井上旭、鎌田昭男、石鍋裕、少し遅れて三國清三と、フランスで修業した若きシェフたちの帰国が始まり、日本のフランス料理界に新しい風が吹き始めていた。その風は巷にもそよぎ始め、世のものごとを、ファッションという視点でとらえる女性誌にも、フランス料理は充分に対象となる存在となっていた。70年代は、若い女性にとっての真のフランス料理元年であったように思う。

たとえば、「セゾン・ド・ノンノ」(集英社)という若い女性の間で一世を風靡した女性誌があった。74年の創刊号は、丸ごとフランスの記事で埋まり、ケンゾーなどのファッションと並ぶ二大特集はフランス料理である。辻静雄さんの監修で、「ル・グラン・ヴェフール」などパリのそうそうたる店のガイドやフランスの料理風土を紹介したのち、その食べ方をことこまかに紹介している。

基本理念はふたつ。いわく

●フランス料理はフルコースで注文する必要はなく、ア・ラ・カルトでよし。

●料理はメインディッシュから決めると、注文を組み立てやすい。

いずれも今や常識以前のことだが、当時のフランス料理のイメージは、ホテルで食べるフルコースだった。そうではないよ、もっと気楽に食べられるんだよ、とビジュアルを駆使しながら10ページにもわたってそれを説いている。

これを第一接近とするなら、2年後の76年、同誌の丸ごとパリ特集はさらに実践的。パリのレストランに入って困らないためのメニューの読み方である。パリで実際に撮影したオードブルから始まるさまざまな料理の名は、日本語よりフランス語が大きい。図で解くフランス料理小辞典といったところで、いくつかのフランス語を覚えておけば、食べるのに困らない仕立てとなっている。

こうして若い女性たちは、フランスへ行く機会はなくとも、フランス料理のスタイルを吸収していったのである。

白いコックコートに身を包んだバーチャルな恋人

80年代に入ると、もはやフランスから学ぶ必要はないほど、本場の匂いにあふれた店が定着。気軽にフランス料理が楽しめるとしてビストロという名前を冠した店や女性の夢を誘う一軒家のレストランも登場。フランス料理は身近な存在になっていった。

そんななか注目したいのは、シェフの料理が、専門誌だけでなく、一般の女性誌にも大々的に取り上げられていったことだろう。「家庭画報」(世界文化社)の巻頭を飾る「ラ・マーレ・ド・チャヤ」時代の熊谷喜八シェフと料理カメラマンの第一人者佐伯義勝さんとがコラボしたページは、圧倒的なビジュアル展開で読者をひきつけた。「ビストロ・ロテュース」から「クイーン・アリス」オープン時代の石鍋シェフは、高級女性誌はもちろん、「ノンノ」や「モア」のような若い女性向きの誌面でも繊細で華やいだ料理を発表。女性誌という媒体を通じて、その名を広く印象づけていった初めての人ではないだろうか。

店そのもののガイドページもさかんだった。店の紹介記事は、料理、店内、シェフという3点セットで構成するのが基本だが、シェフは顔写真程度。それもスペースの関係で省かれることも多かった。しかし、そのうち、シェフの写真が大きくなっていく。「オーベルジュ オー・ミラドー」をオープンしたばかりの勝又登シェフ、ホテル・ニューオータニにできた「トゥール・ダルジャン」の初代グラン・シェフ、弱冠26歳のベルナール・ノエルさんなど、誌面いっぱいにチャーミングな笑顔をふりまき、オーラを放ったものだ。

女性誌を飾るシェフたち。それは男性タレントやスポーツ選手、文化人に加わった新たな顔ぶれ。真っ白なコックコートに身を包んだバーチャルな恋人ともいえる存在にまでなりつつあった。ものなれた女たちは、レストラン名ではなく、「だれそれさんの店に行く」といった言葉を使いだしていた。シェフの存在そのものが重要なキーワードになり始めていたのだった。

当時の仕事仲間と久しぶりにお喋りした。

「取材してるうちに気づいたんだよな。シェフっておもしろいヤツだって」

「みな、30前後、同世代だったし」

「女性誌では、やっぱり石鍋さん。フランス料理のコックといえば、帝国ホテルの村上さんてイメージしかなかったものを、大きく変えたんだから」

「そう、甘いマスクでお洒落で。白いコックコートに、腰でエプロンをピシッと決めて、足元には白いサボでしょ。カッコいい男って、やっぱりポイント高い。料理撮影の前、スタイリストさんと器のコーディネートするんだって、明日は石鍋さんて日はウキウキ盛り上がったわよね」

そんな気分の着地点として、あのシェフの特集ページは誕生したのだった。32歳、独身。ときに尊大、ときに茶目っ気をまじえ、等身大の自分を饒舌に語る三國シェフは、女性読者の心をゆさぶるのに充分なキャラクターであった。

やがて90年代に入ると、フジテレビ系で「料理の鉄人」開始。料理人のスター化に拍車がかかっていく。その原点は70年代に始まるヌーヴェル・キュイジーヌの旋風であり、その担い手が、若々しい野心に満ちたシェフ群像であったからこそ、と思う。

料理人のスター化。そのお先棒を担いだ功罪を問われれば、功のほうが大きかったのではないだろうか。厨房から飛び出して脚光を浴びるシェフたちを見て、料理人を志す若者が飛躍的に増えていったのだから。

「モア」87年2月号より。シ ェフの私生活にまでスポットが当たるようになったのは、画期的な出来事だった。

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福地享子 ― 文、長瀬ゆかり―写真

本記事は雑誌料理王国155号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は155号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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