World News Paris:故オーナーの想いを乗せたパリの高級天ぷら店「天善」

「天善」料理長の近藤次郎さん。旬の魚介や野菜を、自身の足で探し求めている。

食の都パリで、食ジャーナリストして活動する伊藤文さんからの美食ニュースをお届けする本連載。今年6月、ルーヴル美術館近くに高級天ぷら店「天善」がオープンした。今回リポートするのは、「天善」が誕生するまでの“絆の物語”である。

先の6月、フランス初の高級天ぷら店「天善」が、パリの中心地ルーヴル美術館そばにオープンした。2006年創業の、パリの人々に広く愛されるレストラン「善」の地下にある。地下に降りて扉を開けば、そこには別世界が広がる。総木造りの、背筋が伸びるような空間であり、一瞬、パリにいることを忘れてしまう。

この場所を生んだのは故大川善さんだ。2021年73歳で、開業を見ることなく逝去したが、処々に彼の思いが息づいているのがわかる。1968年にシベリア鉄道でフランスに到達してから53年の月日。日本人として豪放磊落に生きたエピキュリアンだった。

地下一階に現れる、純日本風の店内。京都から左官の方々が渡仏し、計3ヶ月滞在して完成させた。木材などの素材も、ほぼ日本から取り寄せた。
地下一階に現れる、純日本風の店内。京都から左官の方々が渡仏し、計3ヶ月滞在して完成させた。木材などの素材も、ほぼ日本から取り寄せた。

免税店で生業を立てるうちに頭角を現し、同業で自身の企業「モンディアル」をパリで創業。もともと三重県の林業を営む家庭に育ち、支払いはつけでしていた。子供の頃から現金を持ったことがない。その場限りでの決済ではなく、将来を見通した投資のできる人だった。

料理好きであったことが動機となり、2006年にレストラン「善」をオープン。鮨からトンカツ、餃子、カレーライスまで、日本の日常的な料理を何でも食べることのできる店を作りたい。専門店ではなく、誰でも楽しめる店は、今までになかった。リーズナブルかつ美味しいとの評判で、日本人はもちろんフランス人にも愛されて早15年以上である。

「今までになかった」ことに挑戦していくことは、大川さんの心をかきたてた。京都で通う某天ぷら店があり、そこの主人と懇意となって、パリで高級天ぷら店のオープンに挑戦したいと思うようになった。働く若い衆たちからも、パリで働いてみたいという声が上がっていた。日本建造物を専門とする建築事務所の人々と知り合ったのもその場所で、「パリで高級天ぷら店をオープンする」という思いが現実に近づいていった。場所はあちこち探したが、最終的に「善」の地下にオープンを決め、名前は「天善」とした。

「天善」料理長の近藤次郎さん。旬の魚介や野菜を、自身の足で探し求めている。
「天善」料理長の近藤次郎さん。旬の魚介や野菜を、自身の足で探し求めている。

左官の方々が計3ヶ月滞在。ヒノキや杉の木材など、日本から椅子以外の素材はすべて日本から運び、フランスの建物では難関の空調ダクトも完璧に誘導するなど、1年にわたる大工事が終わったあと、オープンを予定していた2020年にコロナ禍が世界を襲った。

大川善さんには3人の子供がいる。「モンディアル」にそれぞれが関わり、「善」、「天善」に30名いる従業員は、ほぼオープン当初から長く勤め、店を支えている。大川さん亡き後も、彼を慕う血縁を超えた家族の絆が、夢にまで見た「天善」のオープンを、この6月に実現させたといっていい。

総檜のカウンターの向こうに立つ料理長は近藤次郎さんだ。1973年生まれの福岡大牟田市出身である。日本では、福岡で知られるすし割烹の「佐々庄」にて10年近く腕を磨いた経験のある職人。フランスが好きで、この土地で挑戦することを夢見ていた時、南仏ニースを拠点とする松嶋啓介氏が、ニースで和食店をオープン。人材を募集しているという情報をたまたま得て、2010年に渡仏に踏み切った。そこでは4年間勤務し、縁あって、パリでは「善」に務めることになった。大川さんは、「天善」の料理長には近藤さんが適役と思っていたようだ。

綿実油で揚げる軽やかな天ぷら
綿実油で揚げる軽やかな天ぷら

ところで、フランスで「天ぷら店」がありそうでなかったのにも、理由がある。日本の天ぷらの前身は、ポルトガルのベニエ「テンポーラ」と言われる。卵の入った厚手の衣で揚げる西洋のベニエは、衣と具を食べさせる安価な料理であるため、日本で発展した天ぷらに価値が見出されるか否かには、大きな疑問があった。しかし、近年、和食への関心が特に高まり、フレンチでも、揚げ物に「Tempura」という名をつけてメニューに表示することでステータスを強調する店も珍しくなくなっている。すしに続き、天ぷらも職人芸。薄い衣の中で蒸し揚がる素材の美味しさに、今ならフランス人でも気づいてくれるに違いない。「フランスの野菜は味がしっかりとして美味しい。天ぷらにしたらきっといい」と、時代を読む力のあった大川さんには勝算があった。

大川さんは、「天ぷらは軽めの京風を」と、綿実油を使用することを初めてから決めていたという。また、ごま油にアレルギーのある人がいるが、綿実油には聞いたことがなく、香りもなく軽やかに仕上がる。そこで、綿実油だけは直接日本から輸入している。

近藤さんも10年以上のフランス滞在を経て、フランスならではの食材の味わいを知り、「こうしたら美味しいに違いない」という発想には説得力がある。すし割烹で腕を研磨してきたからこそ、下ごしらえ、例えば素材を寝かせたり、庖丁を入れることで、そのものが持つ味わいを最大限に生かすことも得意だ。オープンして2ヶ月に満たないが、いちじくの天ぷらには玉味噌を添え、ポロネギを短く輪切りにしたポロ葱を天ぷらにし、それを半分に縦切りにしたところに、別に揚げておいたシェーブルチーズを載せるなど、遊びのある天ぷらにも楽しんで挑戦している。まるごと揚げた新ジャガイモは、すでに定番となった。

シメは天茶か天丼。選び抜いた白米も美味しくいただける。
シメは天茶か天丼。選び抜いた白米も美味しくいただける。

さまざまな伊万里の器は大川家で長らく使用していたもので、近藤さんが使いたいと所望した。また、カウンターの後ろの、ちょうど中央には、滋賀県朽木の古民家にあった味のある柱が取り付けられており、今誕生したばかりの空間に、過去から未来へと受け継がれる精神が宿っているのを感じる。

大川さんは、「善」は自分の店であっても、食事をすれば支払いは必ずしたという。時あれば、従業員を色々な形で労うことも忘れなかった。大川さんが存命であれば、どんな店にしたであろう。そんなことを、従業員の皆が振り返り支えている。

語り継がれる高級天ぷら店がパリに誕生した。

text:伊藤 文

関連記事


SNSでフォローする