天皇の料理人から受け継いだスペシャリティエ「黒毛和牛三枚肉のビーフシチュー」


「料理は将棋だぞ。一手、一手を大事にしろ」
〝天皇の料理人〞の弟子だった父の言葉は、かけがえのない財産です 

レストラン吾妻 店主・竹山正昭

 1913(大正2)年、エスコフィエのもとで修業に励んだ秋山徳蔵が帰国、宮内省大膳寮に就職する。

この年に英国生地の輸入商で香港、シンガポールと飛び回っていた竹山周吉が、フランス帰りの本格的なシェフを招いて東京市市谷台町に洋食店「台町食堂」を開く。

当時、「食堂」はハイカラな新しいスタイルのシンボルだった。周吉の息子の正次は、秋山徳蔵の薫陶も得た。精養軒や万平ホテルでも修業をした。太平洋戦争のあと、正次は店をいまの墨田区吾妻橋に移し、「レストラン吾妻」とした。


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