水牛とともに生きる。“カザーロ”竹島英俊さんの現在地点 後編


千葉県でカザーロ(チーズなど乳製品を作る酪農家)として生きる竹島さんは波乱万丈の人生を歩んできた。順調だった家業を続けることに満足できず、“そのために死ねる”仕事を追い求めてイタリアへ行き、カンパーニア州で水牛の飼育とモッツァレッラ作りを学んで帰国。しかし、日本での水牛飼育はハードルが高く、ようやく開設した宮崎の牧場も口蹄疫で閉鎖。それでも諦めなかった、というのが前編での話。後編ではチーズ作りの今、そしてこれからについて語る。

イタリア由来の水牛乳が作り出す濃い味わい

水牛には2種類ある。農耕種と乳用種で、沖縄の水牛は農耕種。イタリアの水牛はカンパーニア州のパエストゥムのような湿原にもともと生息していた乳用種だ。日本では、過去に一度でも口蹄疫や狂牛病が発生した地域からの牛の輸入が禁じられており、輸入が可能なのはオーストラリア産とニュージーランド産のみで、宮崎に入れたのも竹富島で飼われていたのもオーストラリアで繁殖飼育されたカンパーニア州サレルノ由来の乳用水牛だ。

竹富島から水牛を引き受けて欲しいという電話を受けた時、竹島さんは山形の奥田政行シェフのもとでチーズ工房を立ち上げる準備をしていた。しかし、地元の畜産業界の許諾を得られず、竹富島の依頼者にはしばらく猶予をもらい、急ぎ水牛を連れて行ける場所を探した。それが北海道だった。

沖縄から北海道へ。たくましい水牛たち
沖縄から北海道へ。たくましい水牛たち

「十勝です。冬はマイナス20度くらいになる。基本的に暖かいところで暮らしている水牛には耐えられないんじゃないかと思いましたが、大丈夫でした。沖縄から北海道に連れてこられて、雪をかぶりながらも生きながらえてくれました。アジア系の水牛は寒さに弱いけれど、イタリアの水牛は違いましたね」。

十勝では1年半を過ごした後、縁あって現在の木更津の農園に落ち着いた。一番最初にやりたいと思っていた土地に紆余曲折を経てたどり着いたわけだ。

竹富からの水牛が4頭、北海道で屠畜寸前になっていたのを引き取ったのが6頭、そこへさらに輸入と繁殖で、現在飼育する水牛は40頭以上にのぼる。水牛以外にもブラウンスイス種を3頭、山羊20頭、羊も20頭いる。酪農製品はモッツァレッラ、リコッタのほか、柔らかなフレッシュチーズのスクアックエローネ、ゆとりがあるときはブルーチーズ、ゴーダチーズも仕込み、さらに羊乳でペコリーノ、山羊乳ではジェラートも作る。

飼料はトウモロコシとサイレージが中心
飼料はトウモロコシとサイレージが中心

チーズに使うのは全乳だ。北イタリアでは搾乳したら一晩おいて浮いた脂肪を取り除いてからパルミジャーノなどを仕込み、脂肪はマスカルポーネや生クリーム、バターに回す。一方、南イタリアでは搾乳したものを全てチーズにするのが基本。そして、水牛の搾乳量は他の乳牛よりも少なくて1日5Lほどしかないが、歩留まりは乳牛が12%なのに対して水牛は25%と倍以上で、例えば1Lの乳から250gのチーズができる。乳における水分が少ない、つまり水牛の乳は“濃い”のである。ちなみにヨーグルトにすると1Lでどちらも1kgのヨーグルトになるので、量で言えば水牛製は不利。しかし、“濃い”ので味は然違うし、テクスチャーも“もったり”とクリーミーだ。

「今人気のブラータが生まれたのも、水牛の乳の濃さが原因だと個人的に思っています。水牛のモッツァレッラを食べたプーリア州のカザーロが悔しがって、生クリームと裂いたモッツァレッラを混ぜたストラッチャテッラを作った。でも昔はビニール袋のようなものがなかったので、モッツァレッラでストラッチャテッラを包んで、ブラータと名付けた、と」。

水牛のモッツァレッラに負けたくなくてブラータが生まれたという説は、案外本当かもしれない。そのくらい水牛のモッツァレッラは脂肪も味わいもたっぷりだからだ。

手で持ってかぶりついてもらえるサイズに作っている
手で持ってかぶりついてもらえるサイズに作っている

「日本人の料理人の方は、モッツァレッラにこんなに歯ごたえがあることに驚かれます。かたいですね、と言われることも。輸入されて1週間経過したものはへたっているんです。これが新鮮な水牛のモッツァレッラですよ、と説明しています。さらに、牛乳製と水牛乳製では色も違います。牛は草の成分を分解できないから乳に色が残って黄色がかっていて、水牛は分解できるので白さが際立つ。それから、カゼルタ地方では飽和食塩水に浸けてしっかり塩を入れるのですが、僕の作り方はサレルノ地方の伝統に則って乳清をベースとした薄い塩水にモッツァレッラを浸けます。乳清ベースでは、乳酸菌などバクテリアが生きていて、しかも製造所によって味が違ってくる。管理は大変ですが、その方が面白いので」。

レンネットを加え、固まった生地を細かくした後、湯を加えて練り上げる。その湯は、水牛乳の場合、100度くらいの沸騰湯である。イタリアでは圧力釜のようなものを使うので、温度計では105度。その熱湯で生地を練り、保つ人、送る人、切る人の3人一組で熱々の“水風船”を保ちながら成形する作業を行う。練り上がった生地は70度くらいというが、それでも相当熱い。

「最初の頃は生唾飲み込みながらやってましたけど、今はもう慣れました。機械で作れば一人でできるんですが、みんなと一緒にやるから素晴らしいんだなぁと。ものすごく熱いものだし、急がなきゃだめだし、モッツァレッラはみんなの思いの結晶、みたいなものです」。

牛舎とチーズ工房
牛舎とチーズ工房

自信を持って作ったものは必ず売り切る

竹島さんは作ったものをその日のうちに売り切ることにしている。サレルノの製造所で大量に作っても完全に売り切っていたのを体験しているからだが、何よりも新鮮なものを食べてもらいたいという思いがある。そして売り切るためにはどうするかを常に考えなければならない。でもそれが面白いのだという。

「コロナだろうがなんだろうが、全て売り切ってきました。飲食店が休業で売れなくなったときは、百貨店や小売店に売り込みました。今も週一回送って、その日のうちに売り切ることを徹底していただいてます。乳は毎日出てくる。蛇口閉められないじゃないですか。だからこそ、仕組みを作ってちゃんと売る。それが楽しいんですよ」。

年老いた水牛は屠畜する。しかし日本では通常の屠畜場では水牛を受け入れてくれない。仔牛ならイノシシや鹿の処理場に送ることができるが、800kgもの成牛となると、北海道のヒグマなどを扱う処理場に送るしかない。そこで肉になって戻ってくるのだが、フードマイレージ的には理想的とは言えないのが悩みだ。薬殺して産廃にするか、北海道に送って肉にするかの二択となると、後者にせざるを得ないのだが...

年老いた水牛は肉として加工
年老いた水牛は肉として加工

「ともかく最後までちゃんと使い切って売るしかない。冬に屠畜した一頭の半身を使って肉まんにしたら5000個できたのですが、冬だから売れるだろうと思っていたらこれが全然。古い友人にも電話して、美味しいブルーチーズ作るから肉まんを買ってくれと頼みました。肉まんを買ってくれた特典がチーズを買える、という。こうして20日間で5000個売り切りました。一日250個、ようやったな、と思います。それで今は、ブルーチーズ熟成中です。借りを返さないといけないので」。

自分で作って自分で売る。しかも生き物相手のもの作り、販路も一から開拓している。実家のラーメン店で働くよりもはるかに大変だが、間違いなく「この仕事のために死ねる」と言えると思っている。その竹島さんが次に挑戦したいことは、自家製レンネット(凝固剤)だ。チーズ作りに欠かせないレンネットは、仔牛の胃袋が分泌する酵素が元祖である。現在は成分調整されたレンネットを使っているが、原始的なレンネット作りを試してみたいと思っている。

「作り方は知らないんですけど、生後1ヶ月程度の仔山羊の胃を裏返しにして膨らませて吊るして、ある程度のところまで乾いたら保存してみようかと。モッツァレッラには不安定になるので使いませんが、ペコリーノとかカチョカヴァッロなど熟成チーズは面白くなればいいので。それで、カチョカヴァッロの磯辺焼きとか、いいですよね」。夏は山羊乳のジェラートを、冬はチーズの磯辺焼きを。竹島さんの酪農ビジネスに、ここで満足、という終着駅はない。

竹島さんのモッツァレッラが買える場所
KURKKUFIELDS https://kurkkufields.jp

text:池田愛美 photo:池田匡克

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