師匠と弟子の物語 (16) 麻布長江出身 川田智也さん(茶禅華)【前編】


名店にはさまざまな特徴があるが、「優秀な弟子を輩出している」もその一つ。この連載では「ある店」から卒業後に活躍しているシェフたちに話を聞く。今回は、「麻布長江」の長坂松夫氏のもとで修業し、今は自店を構える3名の料理人にインタビューするシリーズの最後の1人として、麻布「茶禅華」の川田智也氏が登場。川田氏のインタビューの前編として、18歳でアルバイトから麻布長江に入り、10年後に店を卒業するまでの話をお届けする。

〜麻布長江(あざぶちょうこう)について〜
香川・高松で長年「中国菜館 長江」と「シーサイドチャイナ長江」を営んでいた長坂松夫氏が、1997年東京・西麻布にオープンした店。伝統的な四川料理がベースにありながらもクリエイティブな料理で時代を拓くとともに、テレビや雑誌などのメディアでも活躍する。長坂氏は2009年に店を弟子の田村亮介氏に継がせ、2010年より高松で「長江SORAE」を営んでいる。

見て覚え、そこから考えて、考えて、考えて自分の身にする

川田さんはどのようにして長坂さんを知ったのですか?

高校3年生の時、テレビの「THE!おいしい番組」で長坂さんが出ているのを観て、一目で引き込まれたのです。料理はもちろん、話し方、そこから感じられる人間性にも心を掴まれました。番組はビデオに録っていたのですが、テープが擦り切れるほどくり返し観たのを覚えています。

この時の僕は、中国料理の料理人になろうと決めてから数ヶ月経った頃。地元の栃木県足利市のラーメン店でアルバイトし、お金を貯めては週末に東京に行き、食事をして将来働く店を探す日々。

ただしそのアルバイトをはじめる前に、実は大きな挫折を経験していたのです。高校時代はバレーボールに青春を賭け、日本一をめざして頑張っていたのですが、高三の最後の大会で負けてしまった。これが、かなりのショックでした。

ならば、と思い出したのが小さい頃から抱いていた中国料理人への夢。「バレーボールがダメなら、中国料理で日本一になる」と心を切り替えました。そんな時に出会ったのが、長坂さんのテレビだったのです。

その後何度か麻布長江へ食事に伺い、長坂さんのお料理をいただき、「麻布長江の長坂さんの味を覚えたい」と強く確信しました。いろいろなお料理をいただいたのですが、その時の感動は今でも鮮明に心にきざまれています。

「雉雲呑湯(雉のスープ)」。茶禅華を象徴する一品。雉の肉のミンチでていねいにスープをとり、中国料理の最高級スープ「清湯」の手法で仕立てる。淡い中に繊細で深い滋味が溶け、ふくよかな香りが立ち昇る。

料理界には背水の陣で入った

それほどまで心酔した長坂さんのお店で、高校卒業後働くことになったのですね。

まずはアルバイトで入れていただきました。というのも、新宿の東京調理師専門学校の2年制に入ることが決まっていたのです。

アルバイトは毎日行き、洗い場とホールを担当していました。バイト時間は最初は放課後だけでしたが、半年後くらいからは登校前の朝、スープの仕込みの手伝いなども含めた見習いの仕事もさせていただくように。鶏ガラの掃除や、たまにネギを切らせてもらえるのも嬉しかったですね。

早朝から夜までのアルバイトと学校の掛け持ちで、休みはありませんでしたが、長江に通うのが楽しくてしょうがない。卒業後はそのまま麻布長江に就職させていただきました。

麻布長江に入った時、特に印象的だったのはどのようなことでしょう。

現場で求められるレベルが、厨房もホールも非常に高かったことですね。それなのに僕は本当にひどくて……。ものは落とすは、動きは遅いわ、頭は回らないわ(笑)。叱られてばかりです。

でもどんなにキツくても、「辞める」という選択肢は考えられませんでした。高校の時にバレーボールで挫折した経験が大きく、「もっと猛烈に考えて努力できたはず」という後悔が残っていたのです。料理界には背水の陣で入ったつもりでしたし、「料理の修業をやめたら、自分の人生は終わりだ」と思っていました。

だから、あまりにもダメな失敗をして、たまに厨房から追い出されて鍵をかけられてしまうことがあったのですが(笑)、そんな時も心が折れるどころか「開けてくださいっ!」って戸を叩きまくるタイプ(笑)。食らいついていく気概はありました。

—川田さんは麻布長江では何年間働き、その間どのようなポジションだったのでしょう。

僕はバイト時代の2年間を含め、麻布長江には合計10年間お世話になっています。実はその間、半分強はホールと洗い場の担当でした。

まず、バイト時代の2年と入社後の2年弱は麻布の店でホールと洗い物。その後、高松にあった「麻布長江 高松本店」に移って2年間、板(まな板。素材を切る工程や冷菜の担当)兼デザートとして調理場に入れていただきました。この時お世話になったのが、僕より一足早く高松に赴任し、28歳で料理長に就かれていた加藤さん(加藤堅太郎氏。岡山「はすのみ」オーナーシェフ)です。

その後23歳で東京に戻った時は再びホールと洗い物。1年ほどして、板とデザートになり、約1年そのポジションに。そして最後の2年間は麻布長江のオーナーシェフとなられた田村さん(田村亮介氏。青山「慈華」オーナーシェフ)のもとで副料理長をやらせていただき、鍋(加熱調理担当)を振らせていただきました。

「雲白肉」。茶禅華の雲白肉はごく薄切りにした豚バラ肉と、ごくサッとのみ蒸した、やはりごく薄切りにしたナスの組み合わせ。客前で蒸籠の蓋を開け、温度の損なわれないうちに食べてもらう。美しくダイナミックな見た目、繊細な食感、味のハーモニーが、食した時の圧倒的な幸福感を作り出す。
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ホールで学んだことが今、武器になっている

麻布長江で過ごした10年の間で、サービスを担当する時間の方が少し長かったのですね。

そうなんです。このことは一見残念に見えるかもしれませんが、むしろ、このおかげで自分の武器を得たと思っています。

長坂さんは「いつも『なぜ』を問い続けなさい」と口癖のようにおっしゃっていました。これは厨房でもホールでも同じ。サービスでしくじってしまった時は「なぜ、今みたいな失敗が起きたのか?」。逆によかった時は「なぜ今、お客さまは喜んでいらっしゃるのか?」。ことあるごとに「なぜ、なぜ」と聞いてこられるので、聞かれる前に自問する習慣がつきました。この習慣には、今も助けられています。

また料理がお客さまのもとに行き着くまでを見届けることで、「ここからお金をいただいている」と深く理解できたのも大きいです。レストランの仕事は調理場で完結するのではなく、むしろホールのお客さまで完結する。そこから巻き戻して調理場で何をするかという、逆の頭の構造が自分の中にできたのです。

たしかにそれは、厨房内だけにいてはできないことです。

もちろん長坂さんからは、厨房で役立つ教えもたくさんいただきました。

たとえば、バイトで入った時にまず言われたのが「うちは手取り足取り教えないよ」ということ。「見て覚えなさい。そこから考えて、考えて、考えなさい。それが一番自分の身になるよ」。

今でも覚えているのは、東京で僕が板だった時のこと。素材を切っていたら長坂さんが、「今、俺はエビを何尾、何秒揚げたか?」と聞いてくる。その時、僕は自分の仕事だけに神経を注いでいたので答えられなかった。そうしたら長坂さんは「お前は一生、鍋にはなれない」とおっしゃったのです。

長江はオープンキッチンで、厨房はガラス張りを取り入れたデザイン。長坂さんと背中合わせでも、そこに映った動きを見ていれば何をなさっているかわかるんです。もちろん、自分の仕事をしながら神経を研ぎ澄ませるわけですが。あと、音を聞いていれば何尾のエビを何秒揚げたか知ることができる。

そうして「何をどうする」をシミュレーションできていなければ、長江では「お前は一生板のまま」です。「背中に目をつけろ」ともよく言われていました。

厳しい言葉ですね。

でも、それくらいやっていただいたからこそ、よく見る、よく考えるようになりました。「なぜを問え」の教えもそう。「なぜ」がわかれば人の動きがわかり、それを自分に転用すればどこまでも成長できる。全てにおいて「なぜ」です。

深い質問が飛んでくることもありました。「なぜお前は麻布長江に入った?」とか、「なぜお前は中国料理をやっている?」など。それが、「なぜ日本人が中国料理をやる?」という僕のテーマに迫ってくるわけです。

—長坂さんは、中国の古典や歴史、文化全体を学ぶようスタッフの方々に説いていたとお聞ききします。

そうなんです。「古典を学ばずして未来はない」とよく言われました。それで、先輩たちに教えてもらいながら中国の古典料理の原書を入手し、辞書を片手に読む。神保町の古書店街を回って、古典の本を買い漁る。内容についてみんなと議論する……素晴らしい環境だったと思います。

麻布長江の料理は、当時ヌーヴェル・シノワと呼ばれていました。つまり新しい感覚を取り入れた、それまでにない中国料理です。そうした斬新な料理を作り出す長坂さんが、一見正反対である古典料理の重要性について口を酸っぱくして説く。なぜなら、古典を深く知っているからこそ、新しくとも説得力のある料理が作れるから。そのことを、身をもって教えてくださいました。

※後編はこちら。川田氏が「麻布長江」を卒業後に働いた「日本料理 龍吟」での経験、「和魂漢才」という言葉との出会い、自分の道を見つけるまでについてを、長坂氏とのつながりとともにお届けする。

川田智也 かわだともや
1982年生まれ、栃木県出身。調理師学校在学中の2000年にアルバイトとして「麻布長江」に入り、2年後に入社。高松の長江での2年間を含め、10年間同店で働く。その後「日本料理 龍吟」に5年間勤務。退職後、2017年に「茶禅華」開業、料理長に就任。2022年にオーナーシェフとなる。『ミシュランガイド東京2021』より三つ星。

茶禅華
東京都港区南麻布4-7-5
TEL 050-3188-8819(予約専用)
https://sazenka.com

料理写真提供:pond gallery、茶禅華
文・人物写真:柴田 泉 
神奈川県出身。食の専門出版社「柴田書店」にて、プロの料理人向けの専門誌『月刊専門料理』編集長を務める。独立後は食やレストランのジャンルを中心とするフリーライター・編集者として活動。

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