師匠と弟子の物語 (17) 麻布長江出身 川田智也さん(茶禅華)【後編】


名店にはさまざまな特徴があるが、「優秀な弟子を輩出している」もその一つ。この連載では「ある店」から卒業後に活躍しているシェフたちに話を聞く。今回は、「麻布長江」の長坂松夫氏のもとで修業し、今は自店構える3名の料理人にインタビューするシリーズの最後の1人として、麻布「茶禅華」の川田智也氏が登場。ここでは川田氏のインタビューの後編として、麻布長江からの卒業後に働いた「日本料理 龍吟」での経験、「和魂漢才」という言葉との出会い、自分の道を見つけるまでについてなどを伝える。(前編はこちら

〜麻布長江(あざぶちょうこう)について〜
香川・高松で長年「中国菜館 長江」と「シーサイドチャイナ長江」を営んでいた長坂松夫氏が、1997年東京・西麻布にオープンした店。伝統的な四川料理がベースにありながらもクリエイティブな料理で時代を拓くとともに、テレビや雑誌などのメディアでも活躍する。長坂氏は2009年に店を弟子の田村亮介氏に継がせ、2010年より高松で「長江SORAE」を営んでいる。

古典を学ばずして未来はない。歴史を遡る中で「和魂漢才」を見つけた

前編…専門学校生時代にアルバイトをはじめ、10年間働いた麻布長江。実はサービス担当の年月が半分強を占めていた。その中で川田氏は長坂氏らの教えを吸収。自分の武器を見つけながら成長した。

川田さんは麻布長江で10年間働いた後、「日本料理 龍吟」に約5年勤務します。中国料理の世界から日本料理に移ろうと思ったのは、どのような背景があってのことでしょう。

日本料理を意識するようになったのは、長江を辞める1年前くらいからです。きっかけは、日本料理 龍吟で山本さん(山本征治氏。日本料理龍吟オーナーシェフ)の料理に衝撃を受けたこと。はっきりと伝わる素材の風味、繊細と大胆が両立する表現……自分のまったく知らない世界です。それで、「もっとこの世界を知りたい」と、龍吟に食事に通わせていただくようになりました。

一方で、「果たしてこの感動、この表現は自分の中国料理で可能なのか?」という疑問が自分の中で膨らんでいきました。

長坂さんは常に「日本人が中国料理を作る意味を考えなさい」とおっしゃる。しかしその答えを、当時の私は見つけられていなかった。この宙ぶらりんが、龍吟での食事で明らかになってくるわけです。

たとえば新鮮な鮎を渡された時、僕は中国料理の手法で揚げ煮にしたり、炒めたりできるとは思いました。しかし龍吟の炭火焼きの鮎を食べた時の苦味、旨み、香りが織りなす繊細な素材感を、自分は日本料理ほど豊かに表現できるか? 到底できるとは思えなかった。季節感についても同様です。

ここをクリアしないことには、僕が日本で中国料理を作る意味を見つけるのは難しいのでは。そう思ったのが、龍吟で修業させていただきたいと考えるようになった背景です。

「炭火烤鴿子(鳩の炭火焼き)」。鳩を一晩風干ししてから捌いて胸肉を切り出し、低温の油でやさしく加熱。その後、燻した藁で香りをつけ、仕上げに炭火で皮目をパリッと仕上げる。台湾の清涼感ある香辛料「馬告」の風味で。

「和魂漢才」の言葉を見つけ興奮

麻布長江での学びは、龍吟で生きることはありましたか?

それは、あえて一回置いてから龍吟に入りました。郷に入れば郷に従え、です。これも長坂さんが常々おっしゃっていたこと。当然、中国料理の本も一切読まなくなりました。

代わりに貪り読んだのが、日本料理の技術の本や歴史の本。日本料理の方々は日本料理の歴史を非常によく識っていらっしゃいます。それで僕も本を教えていただきながら、山本さんの本はもちろん、日本文化の礎となった方々、湯木貞一さん、北大路魯山人さん、千利休、その先にある禅の教えを道元禅師、栄西禅師、さらには最澄、空海まで、といった感じでどんどん遡り、夢中で勉強しました。

そうした中で「和魂漢才」という言葉に出会ったのです。

和魂漢才は、茶禅華がオープン以来掲げているテーマですね。

そうなんです。自分の指針となっている大切な言葉です。

「和魂漢才」は平安時代の末期に生まれた言葉で、「日本の魂と中国からの学びを両立させる」というような意味です。その背景には、日本は飛鳥時代から奈良時代、平安時代前期にかけて、先進的な文化を持つ唐(中国)に多くを学んでいた、という状況があります。しかし時が経って唐王朝が衰退すると、「もう、唐に学ぶ必要はない」との決断がなされ、それまで定期的に唐に人を派遣し、学ばせていた遣唐使の制度が廃止されます。この判断をしたのが菅原道真です。

ただし菅原道真は、それまで唐から勉強してきたことを否定はせず、むしろしっかりと継承し、今後はそれをベースに日本人としてどう生きるかを考えるべき……と説いたと一説では言われています。それが「和の魂に漢の才」すなわち「和魂漢才」です。これは言葉の誕生であるとともに、思想の発明だったとも思います。

「和魂漢才」はそんなに古い言葉だったんですね。

はい。僕がこの言葉を本で見つけた時のことは鮮烈に覚えています。龍吟で修業をはじめてから2年ほど経った頃です。まさに衝撃。「なんだこれは!」「これだ、これ!」と大興奮です(笑)。

自分がもやもやと思っていたことが、バシッと一言で説明されている。そこから、この言葉が生まれた背景や環境についてバーッと調べて、現代に巻き戻して考えたことが、のちの茶禅華の哲学に結びつきました。長坂さんのいう通り、やはり「古典を学ばずして未来はない」と実感しています。

ただ、この言葉を発見した時は興奮しましたが、よくよく考えると「和魂漢才」は日本の中国料理界では古くからなされてきたのだということにも気付きました。

「冷担々麺(冷やし担々麺)」。ファンの多い、キリッと冷えた夏場の定番の一品。上品な旨みの清湯、豆乳、自家製芝麻醤で作るスープはまろやかでなめらか。適度なコクがありながらすっきりとした味わいで、かつ清湯の旨みの余韻が長く続く。最後に花椒をふり、ラー油を垂らして麻辣を香らせる。

日本人が本当に美味しいと思う中国料理

日本における中国料理の歴史の中に「和魂漢才」があった、ということですか。

はい。まず長坂さんは「料理は気候風土と文化歴史に根付いている。その土地の人が一番おいしい、心地いいと思うものが残っていく」と、よくおっしゃっていました。「それを理解した上で、現地の四川料理と日本の中国料理を調和させるのが麻布長江だ」とも。

つまり長坂さんは、「四川料理をルーツとした、本当の意味で日本に根付く中国料理」を麻布長江で生み出していた。和魂漢才という言葉を使わずとも、同じことをずっと前から表現されていたのです。

そのさらに奥にあるのが四川飯店の創始者、陳建民さんの存在です。

長坂さんのご師匠は、名古屋の近鉄四川飯店で料理長を務めていらっしゃった井田恭平さんで、井田さんは陳建民さんのお弟子さん。そしてご存知の通り、陳建民さんは四川省生まれで、香港、台湾を経て日本に来られた方。汁そばの担々麺、マイルドな麻婆豆腐など、日本人の舌に合わせた四川料理をたくさん生み出しています。これらは「四川料理の技術をもって作られた、日本人の味覚と気持ちに寄り添った料理」。和魂漢才だと言えると思っています。

陳建民さんから長坂さんにも引き継がれてきたこの流れを、川田さんも継承したのですね。

継承したい、と意図もありました。しかし、自分の身体の素直な感覚に基づくという面もまたあります。

少し話が戻るのですが、僕は麻布長江で働いていた時期に先輩たちと何度も四川そして中国を訪れ、食事をしてきました。その時、現地の料理はもちろんおいしくて感動したのですが、実は僕の場合、自分が本当に心からおいしいと思うのは日本の中国料理だということに気づいたのです。

和魂漢才の言葉を見つけた時に、過去のそんな感覚を思い出し、さらに長坂さんや陳建民さんのなさったことに思い至った時、「あ、僕がめざしたいのは、ここの最高峰だ」と、気づきました。つまり、和魂漢才の最高峰です。

そこをめざすにあたっては、陳建民先生、井田先生、長坂師匠などの先人の方々への敬意を忘れてはいけないと肝に銘じています。もちろん、日本料理の師である山本師匠に対しても同じです。

「自分をすごいと思うな、傲慢になるな」というのも長坂さんの口癖です。だからこそ「歴史を学べ、古典を学べ」なのです。とてつもない先生だと思います。

仕事中は、いつも背中に長坂さんが宿っている

最後の質問となります。長坂さんのもとで過ごした日々は、川田さんにとってどのような時間でしたか?

必死、という言葉しかないです。ついていくのに必死。その中で、背中で教えていただきました。

ふり返るとたくさんの思い出があり、もちろん辛いことも少なくないのですが、やはり喜びが勝っています。なにしろ、初めてテレビの画面越しで見た時に「あ、僕はこの人に弟子入りする」という感覚がビビビと走ったのですから。なので長坂さんのもとに弟子入りできたこと自体が、一番の喜びです。常に必死でしたが、その喜びと感謝がいつも根底にありました。

もちろん、厳しくしてくださったことにも深く感謝しています。今も、鍋を振っていて少しでも周りが乱れたら、「あ!長坂さんに怒られる!」と思ってピピッと掃除する。スタッフに話す時も、自分が長坂さんに学んだように意味あることを伝えられているか自問する。仕事中は、いつも背中に長坂さんが宿っているようなものです。

この感覚は、死ぬまで抜けないと思います。というか、抜けないでほしいですね。僕が長坂さんから、どれほどたくさん学んだかの証なのですから。

川田智也 かわだともや
1982年生まれ、栃木県出身。調理師学校在学中の2000年にアルバイトとして「麻布長江」に入り、2年後に入社。高松の長江での2年間を含め、10年間同店で働く。その後「日本料理 龍吟」に5年間勤務。退職後、2017年に「茶禅華」開業、料理長に就任。2022年にオーナーシェフとなる。『ミシュランガイド東京2021』より三つ星。

茶禅華
東京都港区南麻布4-7-5
TEL 050-3188-8819(予約専用)
https://sazenka.com

料理写真提供:茶禅華
文・人物写真:柴田 泉
神奈川県出身。食の専門出版社「柴田書店」にて、プロの料理人向けの専門誌『月刊専門料理』編集長を務める。独立後は食やレストランのジャンルを中心とするフリーライター・編集者として活動。

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