師匠と弟子の物語 (15) 麻布長江出身 加藤堅太郎さん(はすのみ)【後編】


名店にはさまざまな特徴があるが、「優秀な弟子を輩出している」もその一つ。この連載では「ある店」から卒業後に活躍しているシェフたちに話を聞く。今回は「麻布長江」の長坂松夫氏のもとで修業し、今は自店構える3名の料理人にインタビューするシリーズの2人目、岡山「はすのみ」の加藤堅太郎氏の後編。長坂氏が経営する店の料理長を7年間務めたのち独立し、今に至るまでの長坂氏との関わりについてお届けする。(前編はこちら

〜麻布長江(あざぶちょうこう)について〜
香川・高松で長年「中国菜館 長江」と「シーサイドチャイナ長江」を営んでいた長坂松夫氏が、1997年東京・西麻布にオープンした店。伝統的な四川料理がベースにありながらもクリエイティブな料理で時代を拓くとともに、テレビや雑誌などのメディアでも活躍する。長坂氏は2009年に店を弟子の田村亮介氏に継がせ、2010年より高松で「長江SORAE」を営んでいる。

「美味しい料理を作りなさい。美味しい料理を作っていたら、いい人と出会えるから」

前編…21歳で長坂氏のもとで働くようになった加藤氏は、東京と高松、両方の店を経験しながらステップアップ。28歳の時に高松の店の料理長を任されるように。当初は周囲から「若すぎる、失敗するのでは」と囁かれたものの、1年でネガティブな意見を跳ねのける活躍をした。

料理長就任後1年ほどして長坂さんにメニューを任せられ、周りからも認められるようになったとのこと。以降は徐々に自分らしさを料理に出すようになったのでしょうか?

いや、そこに関しては全然意識していませんでした。

前にも話したように、長坂さんは「僕は、君たちに種を蒔くだけ。その種にきちんと水をやり、肥料をあげ、耕して育てるのは君たち自身だ」というスタンス。その際、それぞれの弟子でキャッチする「種」は違うと僕は思っています。つまり長坂さんの言っていることの、何に強く影響を受けるかはみんな違うはずです。

僕は高松という地方都市の環境を与えられたので、長坂さんの教えの中でも「素材をしっかりと見る、理解する」「素材が育つ現場に足を運ぶ」「でないとちゃんとした料理は作れないよね」という教えに強く影響を受けました。それが可能な土地でしたから。ですので高松ではたくさんの畑を訪ねましたし、料理も、味付け本位の中国料理というより、素材本位に考える意識がどんどん強まっていきました。

そうした姿勢が、もしかしたら自分らしさになって料理に現れていたかもしれません。その種を蒔いてくれたのは長坂さんです。

「オコゼの姿蒸し」。瀬戸内産の季節の活魚を、シンプルに。瀬戸内海の上質で新鮮な魚介類は、同店の大きな強み。
「オコゼの姿蒸し」。瀬戸内産の季節の活魚を、シンプルに。瀬戸内海の上質で新鮮な魚介類は、同店の大きな強み。

任された店を100%やらなかったら、独立したところで何ができる?

料理長を7年間務めてから独立なさいます。

実は料理長になってから3年ほど後、自分の中で独立熱が非常に高まった時期がありました。31〜32歳くらいの時です。

今思えば、周りに認めてもらってから数年が経ち、料理や管理の力も存分に身についたと自分で思い込んでいた。完全に増長していましたね(笑)。「自分はもう充分に力をつけた。独立できる」と周囲の人にも言っていたので、上の人からしたら相当生意気だったと思います。

でも長坂さんは辞めさせてくれず、独立できない。その一方で、後輩が独立開業……。かなり悶々としていました。

でもある時、「果たして今、自分はこの店で100%のことができているか?」と、ふと気づいたのです。それをきっかけに、今までの「長坂さんから預かっている長坂さんの店」という意識を、「自分の店だと思うことにしよう」と切り替えました。「ここで100%やらずにいて、独立したところで何ができる?」と。特に、最後の3年ほどはそういう気持ちが強くなったと覚えています。

その時期に何をしたかというと、食材の現場をいっそう精力的に訪ねたり、あと個人的にワインが好きだったのでソムリエの勉強をしたり。どちらも今の自分の根幹になっています。

2010年に故郷の岡山で独立なさいますが、その時、どのような店にしようと考えましたか?

自分が行きたいと思うような店にしよう、自分が好きな料理やお酒を提供しよう、というのが基本的な姿勢です。これは今も変わりません。

特に日本のナチュラルワインと、独自の思想で造られた日本酒が僕は好きで、店での提供にも力を入れています。信念のある生産者の方々が造るお酒は、やはり味にもそれが現れるからです。

ただし店をオープンした2010年当時は、そうした中国料理店はほとんどありませんでした。ナチュラルワインという言葉もなく、中国料理店に限らず、キワモノ扱いされていたくらい(笑)。

それでも自分はナチュラルなお酒が好きだったので、オープン時から積極的に探し、学び、取り扱ってきました。それが今のお客さまのからの支持や、生産者の方々との交流につながっています。「変わったワインを扱う変わった人たち」と思われていた時代からの縁なので(笑)、生産者や酒屋さんとの絆は強いですよ。

今はワインや日本酒をはじめ、野菜などの素材の生産者の方々においても、本当に「この方は人柄も作るものも素晴らしい」「最高に共感する、尊敬する」という皆さまとつながることができています。それが地元の仲間の輪となっているのは幸せなことです。

「黒酢酢豚」。ブロックのまま低温で24時間じっくり加熱し、しっとりとした豚バラ肉を切り分け、表面をカリッと揚げる。炒めたワケギ、鎮江黒酢がベースの甘酢ソースとともに。
「黒酢酢豚」。ブロックのまま低温で24時間じっくり、しっとりと加熱した豚バラ肉を切り分け、表面をカリッと揚げる。炒めたワケギ、鎮江黒酢がベースの甘酢ソースとともに。

長坂さんほど人に対して真剣になれる方はいない

地元の、志を同じくする人たちとの出会いが積み重なって今があるのですね。

本当にそうです。実はこれも、長坂さんの教えの結果なのです。長坂さんはたくさんのことを教えてくださり、特に強く影響を受けたものはいくつかありますが、それらの中でも自分に最も刺さっているのがこの言葉。

「美味しい料理を作りなさい。美味しい料理を作っていたら、いい人と出会えるから」。

自分の真剣度合いは人に伝わるものです。そして自分がどういう想いで料理に取り組んでいるかによって、出会える人は変わるはず。どんなジャンルでも「類は友を呼ぶ」ですから。

長坂さんのこの言葉を信じて、僕は真面目に美味しい料理を作ってきたつもりです。だから尊敬できる人たちと出会えているし、共感する人とのつながりを広め、深められているのかな、と思います。

それでは最後の質問となります。長坂さんのもとで過ごした日々は、加藤さんにとってどのような時間でしたか?

えっ! 難しいですね(笑)。修業の初期と中期、料理長になってからで違ってきますが……。初期は、そうでうね、辛い日々でした(笑)。でも、ふり返ったら感謝しかありません。たくさんの種を蒔いてくださったので。

あと僕は思うのですが、長坂さんほど人に対して真剣になれる方はなかなかいないのではないでしょうか? ものすごい熱量を持ってスタッフに関わり、怒る時も本気で怒ってくださる。

人に接する時は、妥協する方が絶対に楽なんです。でも、それをしないのが長坂さん。そこが、僕にとっての長坂さんの一番の魅力です。

今の自分を、そして今のはすのみを作っているのは、確実に長坂さんの教え。そのように今実感していますし、今後もそれは変わらないと思います。

加藤堅太郎 かとうけんたろう
1974年岡山県生まれ。高校卒業後に地元の中国料理店で働きはじめ、21歳の時に高松の長江に入る。半年後に東京・麻布に異動。以降、高松と東京で経験を重ね、28歳で高松の長江の料理長となる。7年間同職を務め、36歳に岡山にて「はすのみ」を独立開業。地元の生産者とのネットワークを築き、岡山を筆頭に全国の日本ワイン、日本酒の生産者ともつながりを作る。「ミシュランガイド岡山2021」にて一つ星を獲得。

はすのみ
岡山県岡山市北区平和町1-11
TEL 086-238-8403
https://ya1s700.gorp.jp

写真:はすのみ提供
文:柴田 泉
神奈川県出身。食の専門出版社「柴田書店」にて、プロの料理人向けの専門誌『月刊専門料理』編集長を務める。独立後は食やレストランのジャンルを中心とするフリーライター・編集者として活動。

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