魚を肉のように調理する豪州の「フィッシュ・ブッチャー」、ジョシュ・ニランドの黄金の10年


「頭から尾まで」の料理哲学で世界の魚愛好家を魅了するオーストラリア人シェフ、ジョシュ・ニランド。旗艦店「セイント・ピーター」の創業10周年を記念し、ロンドンで見せた類まれな技術のショーケースを共有しよう。

とびきりの魚料理をいただいた。ロンドンの地で、豪州からゲスト・シェフを迎えてのスペシャル・ランチ。今ならはっきりと分かる。9月半ばに開催されたあれは、人生で二度は経験できない、極めて特殊なチャンスであったと。

その豪州のシェフとは、魚料理で新たな地平を切り拓き、その功績で世界的な評価を得ているJosh Nilandジョシュ・ニランドさんだ(冒頭写真)。ちょうど発売中の「料理王国」誌面10月号でも偶然取り上げられている。

オーストラリア・シドニーに構える自身の旗艦レストラン「Saint Peterセント・ピーター」が今年で創業10周年を迎えたことを記念し、この秋に新著『Saint Peter: Chapter & Verse』を上梓されたばかり。西ロンドンの高級レストラン「Dorian」を貸し切り、昼と夜の2回、合計100名に及ぶ著名なシェフや関係者、インフルエンサーを招き、その料理哲学に基づいた素晴らしいコース料理を披露した。

ジョシュ・ニランドさんは、魚料理に肉の概念を取り入れたことで知られる。彼の哲学は肉で言う「ノーズ・トゥ・テール(頭から尻尾まで)」そのもの。「切り身(フィレ)を重視する西洋的なアプローチから脱却し、頭から尾、内臓、眼球、浮き袋、皮、血合い、骨に至るまで余すところなくフル活用するサステナブルな姿勢と聞くと、日本的な思想を思い浮かべがちだが、ところがどっこい、両者は似て非なるものだ。

それは彼の料理に接すると、一目瞭然なのである。

西ロンドンにある「Dorian」が会場。ジョシュさんのチームにドリアンのチームも加わり、唯一無二の料理を創り上げた。「頭から尻尾まで(Nose-to-Tail)」の料理哲学を世界で最初に提唱したイギリス人シェフ、ファーガス・ヘンダーソンさんは、夜の部に招かれたという。
旗艦レストラン開業10周年を記念してこの秋に出版された『Saint Peter: Chapter & Verse』。布製、箔押し、図説や写真満載の超豪華本。
炭で締めたまったりとした味わいのシーバスは、3コース目。季節のグリーンゲージ・プラム、イチジクの葉でインヒューズしたポン酢で。その前に出されたシーバスの骨エキスを練り込んだ麺を、サバの骨からとっただし汁でいただくブロスも秀逸だった。

日本式との違いは、大きく分けると2点ある。まず魚の保存方法。ニランド式では、冷凍に頼らず乾燥熟成が基本。低温を保ちながら余分な表面水分を丁寧に取り除き、温度管理された特殊な環境で魚を吊り下げ、水分コントロールと衛生管理を徹底しながら、時間経過による風味や食感の変化を、それぞれの料理に生かしていく。

次に魚の解体に対する認識。これは自身の魚加工施設を「フィッシュ・ブッチャリー(魚の精肉店)」と呼んでいることにも現れている。つまり魚を肉として捉え、肉屋が部位ごとに解体するように、魚の各部位を独立した食材として扱うやり方だ。

今回のコースでは、ふだん彼が「セント・ピーター」で調理しているようなファイン・キュイジーヌではなく、あくまでも彼の技術や調理アプローチを披露するためのシンプルなもので、シェフ本人も「これが本当の僕」とにこやかに表明していた。そんなリラックス感のある全8コースだったが、もちろん全ての品に優れた下準備が感じられ、プレゼンテーションも非常に洗練されている。

料理はミニマルで美しく、味わいも申し分ない。例えばジョシュさんが「日本とスペインのミックスのような料理」と呼んでいたしめ鯖の一品。まずサワードゥ・ブレッドをオリーブの漬け汁とエキストラバージン・オリーブ・オイルを混ぜた「Olive Brine」に浸し、次にバターを付け、塩で軽く締めた後にシャンパン・ビネガーに10分ほどつけた英国産の鯖をのせていただく。油脂が多く感じられるが、実にさっぱりとしていて、美味。

しめ鯖の一品は、ジョシュさんのシグネチャーでもある。鯖はもちろん英国近海産。今回のコースでは英国産にこだわった。
ジョン・ドーリー(マトウダイ)のチョップ風、スモークしたトウモロコシ、ジロール茸、タラとトウモロコシの出汁、スモーク・バターを使ったソース。旨味とフレッシュ感が絶妙な一皿。
マグロの調理風景。英国近海で漁獲された85キロのマグロを解体。14日乾燥熟成。マスコバド糖と醤油で味付けし、ステーキのような色合いを出している。
炭火で炙って火入れしたステーキそっくりのリブアイ。プレゼンテーション力も強い。

マグロのステーキは、堂に入ったものだった。切り身の様子も食感もプレゼンテーションも、完全に肉料理に似せる趣向。ソースはハリッサ&ホースラディッシュ。極細のハンドカット・フレンチ・フライ、さっぱりとしたグリーン・サラダと一緒にいただく。控えめに言って至福の味わいだ。この後、ふんわりと軽いカスタード・タルト、そしてカカオ70%で、マグロの骨髄でコクを出したチョコレート・ファッジが続く。

こういった独特のスタイルはしかし、どのようにして生まれたのだろうか。

ジョシュさんは、シドニーから車で2時間程度の距離にあるニューサウスウェールズ州で生まれ育った。子ども時代の大きな病気を乗り越え10代半ばから厨房に入り、シドニーの「Est.」、そしてオーストラリアの著名な魚シェフ、スティーブン・ホッジスさん率いる「Fish Face」で魚の知識を深め、英国「The Fat Duck」で実験的な料理に触れた後、帰国。同業だった妻のジュリーさんと共に高級シーフード店「St Peter」を立ち上げた。しかしオープン当初は経営的にうまくいかなかったそうだ。 

そこで、本来廃棄するような部位も含め、魚のあらゆる部位を活用できないか徹底的に研究するようになった。これが全ての始まり。窮すれば通ず。この試行錯誤が現在の「魚のブッチャー」というスタイルに繋がっている。

彼が取り組んでいるのは、奇抜な魚料理を生み出すというよりも、食材としての魚介を再定義し、新たに組み立て直すという事業だ。水揚げされた瞬間から、流通・保管、原価管理、メニュー構成を見直し、料理人が選択できる技法の幅そのものを広げ、優れたシステムを構築した。持続可能なビジネス・モデルとは、まさにこのことをいうのだろう。

カスタード・タルトとクリーム、右は粗塩を散らしたマグロの骨髄入りスモーキー・チョコレート・ファッジ。(70%チョコレート)甘めの赤ワインによく合う。
新著のページより、魚を精肉に見立てる西洋的なアプローチ。ジョシュさんの料理は日本とは無縁のところで構築された。彼はこれまで日本に滞在したのは3日間のみ。理事を務めるバスク料理センター(The Basque Culinary Center)の用事で東京と富山を訪れた。

「Saint Peter」創業10周年の節目として、この秋に刊行された新著『Saint Peter: Chapter & Verse』(セント・ピーター:章と節)は、レシピだけでなく、レストランの歩み、料理哲学、リーダーシップや仕事の仕組みについて記された大著だ。実際に手にとってみたが、明らかに聖書を思わせるタイトルと造りがズシリと重厚で、極めて繊細でデザイン性あふれる仕上がり。シェフの方法論を整理していると同時に、次世代への指標ともなっている。

ロンドンで開催された今回のイベントでシェフ自らの料理をいただき、ふと思ったのは、ジョシュさん自身が10年をかけ、現代のセント・ピーター、つまり「漁師の守護聖人とされる聖ペテロその人になっているのでは?」ということだった。

「セント・ピーター」は、次の10年に向けて、ゆっくりと、確実に船を漕ぎ出したところだ。

Saint Peter
https://www.saintpeter.com.au/

『Saint Peter: Chapter & Verse』
https://www.mrniland.com/pages/saint-peter-book

text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni


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