ヤコブ・ヤン・ボエルマ氏が作るオランダのガストロノミー、横浜に上陸 【前編】若くして活躍、今に至るボエルマ氏の軌跡


オランダのガストロノミー界を代表する三つ星シェフ、ヤコブ・ヤン・ボエルマ氏がプロデュースする「SMAAK(スマーク)」(横浜・馬車道)が、2022年12月にオープンしました。ここでは、オープンに際して来日したボエルマ氏へのインタビューを、前後編の2回で掲載します。前編の今回は、ボエルマ氏の若い頃から今に至るまでの道のりについて。後編では、横浜で成し遂げたいことについてお伝えします。

集中して働き、どこかで区切りをつける。それが私の生き方

——若い時のどのような経験が、ヤコブさんの料理人としてのベースを作りましたか?

私の若い頃、1990年前後は、オランダ人がオランダの外に出て修業するのはまだあまり一般的ではありませんでした。そんな中、私は国を出て、ドイツ、イギリス、ベルギーでまずは見習いとして働いたのです。

国外で働くのはきつかったですが、それは、他のオランダ人がまだやっていないことでもありました。なのでこの体験が、オランダの他のシェフたちとは違う、私独自の料理人としてのベースにつながったのだと思います。国外でドイツ語や英語を学べたのも大きかったです。

今はSNSを使えば世界中から情報を得られます。でも私の修業時代は、何かを学ぼうと思ったら直接その場、そのレストランに行かなくてはなりませんでした。このことも、私独自の経験に繋がっていますね。

「タルトレット、味噌、ウニ、大豆、黒米」。アミューズとして提供。日本で出会った素材を積極的に用いる。
「タルトレット、味噌、ウニ、大豆、黒米」。アミューズとして提供。日本で出会った素材を積極的に用いる。

また、幼少時代の経験も、私の料理人としての大切なベースとなっています。

その経験とは、14歳の頃からに休暇の時期に、両親の運転でフランスに行き、シャトーホテルやミシュランの星付きレストランで食事をしていたこと。テーブルに着いて食事をするごとに、「ここではなんて素晴らしいことがくり広げられているのだろう!」と思ったのです。両親は毎年フランスのミシュランガイドを買い、私もそのガイドで三つ星レストランを普段からチェックする。そんな子どもでした。

そんな時期に、「人生でいつか、自分も三つ星を獲る」と両親に言ったことがあります。彼らは「現実的になりなさい」って笑っていましたね。でも、私は大人になってから実際に三つ星を獲ったわけですが(笑)。

実は、父は私が料理の道に進むことに反対でした。たくさん働かなければならず、しかもお金が儲かるわけでもない仕事だ、と。

ある意味それは正しいかもしれません。しかしシェフという仕事は、世界中のさまざまな人や物事とつながることができる、本当にユニークな仕事です。今私は、シェフとは本当に素晴らしい仕事だと思っています。

息子の悲しい一言が、本当に大切なものを教えてくれた

——2002年、30歳の時にご自分の店「デ・リースト」をオープンしました。その後ミシュランの星を重ね、2013年に三つ星に。しかし2019年にデ・リーストを閉店します。この間で、どのような体験をなさってきたのでしょうか?

ベルギーでの修業からオランダに戻り、アムステルダムの近くのレストランでシェフとして働きました。そこで、最初の年に一つ星、翌年に二つ星を獲得。この時私は26歳でした。

その後、オーナーがこの店を閉めるのを機会に、公私のパートナーであるキム・ベルドマンと独立しよう、という流れになったのです。私がシェフで、彼女がシェフソムリエ。そのほかキッチンスタッフを3人雇う体制ではじめました。

スロースタートにしたかったので告知はほとんどしなかったのですが、どういうわけかお客さまは来てくれて、オープンから5ヶ月で一つ星に。その後は二つ星、そして2013年に三つ星という具合に星を重ねました。

順調に見えますが、本当によく働きました。今では社会的に無理ですが、当時は1日に16〜18時間働いたことも。他の人の倍は働いた自信があります。キムもまた、同様の働き方をしていました。本当に、濃密な時間でした。

でも、そうした働き方をしてはいけない、と考えを変える出来事が起きたのです。

私とキムは2014年に男の子を授かり、働いている間、その子は店の上にある事務所で時間を過ごしていました。そんな彼が3歳の時、世話をしに事務所に上がってきたキムに「ぼくにはパパもママもいない」と言ったのです。それだけ孤独な思いをさせていたんですね。

このことをキムから聞いて、私は大きなショックを受けました。キムも完全にショック状態で、その晩は仕事ができないくらい。それで、私たちは、自分自身に集中しすぎていて周りが見えていなかったと気づいたのです。

そして、このことをきっかけに、「3年後、私はこのビジネスを辞める」と決意しました。

仕事でもっと成果を出したいと思うのは大事だけれど、周りの人とともに生きることも本当に大事なことです。私は日々の営業中だけでなく、店が休みの日も遠方でのイベントなどで留守にすることが多かった。息子との時間がほとんどなかったのです。これではいけません。

店を閉じたのは2019年です。幸い三つ星ということもあり、知名度や信頼がありました。それで今は、レストランのプロデュースなどの形で、この業界で力を発揮しています。

——三つ星の評価を得ている店を閉めるのには、相当な勇気が必要だったのでは?

自分の仕事を辞めなくてはならない日が、誰にでもいつかはやってくるのです。私は、その日を人生最後の日まで待ってはいたくない。自分で「ここ」と決めたい。

そういうタイミングを逃さないのが大事だと思い、決断しました。

それと、実は私の両親は50代前半で仕事をリタイアしていて、自分はそれより早く仕事に区切りをつけたい、と思っていた。これも理由ですね。

以前のような働き方は二度としません。しかし過去の自分を後悔しているわけでもありません。なぜならあの時間が私の夢を実現させてくれたのだし、人生のベースを作ってくれたからです。

「ゆず、ラズベリー、ハイビスカス、オランダのキャンディー」。ゆずはボエルマ氏が特に気に入っている素材。「オランダのキャンディー」は、同地の人なら誰もが知る駄菓子のような飴。全体に洗練された皿の中にキッチュな味が加わりおもしろい。
「ゆず、ラズベリー、ハイビスカス、オランダのキャンディー」。ゆずはボエルマ氏が特に気に入っている素材。「オランダのキャンディー」は、同地の人なら誰もが知る駄菓子のような飴。全体に洗練された皿の中にキッチュな味が加わりおもしろい。

オランダには料理の伝統や制約がない。心のままに創作できる

——デ・リーストではどのようなコンセプトで、どのような料理を作っていましたか?

あえてコンセプトを言うなら……自分の心のままに料理を作ること。自分の体験、世界を訪れ感動したこと、旅の軌跡などを料理に反映させる。そんな感じでしょうか。

オランダには、そもそもガストロノミーの伝統がありませんでした。それに、たとえばフランス、イタリア、スペインといった国は、どのような食文化を持つ国かわかりますよね? でもオランダと言ったら、「木靴」「チューリップ」くらいしかみんなイメージがないのでは(笑)。

そんな国なので、逆に、「こうしなくてはいけない」という伝統や制約がありませんでした。だからこの15年、20年で、やっと我々のガストロノミーが築き上げられた。オランダのガストロノミーは自分たちで作ってきた、というように考えています。

制約がないので、私の料理におけるキャリアはまるでピンポン玉のよう。何かの刺激を受けたら打ち返され、また別の刺激で打ち返される。そんなくり返しです。デ・リーストでも「アジアの時期」、「ヨーロッパの時期」、「モロッコの時期」、「日本の時期」……いろいろありました。

そうしたさまざまなエリアの風味やアイデアを、オランダの素材をメインに使った料理に加えるのです。自分の人生の反映ですね。そうした料理を作ってきました。

*後編では、ボエルマ氏が横浜で成し遂げたいことについてお伝えします。

Jacob Jan Boerma ヤコブ・ヤン・ボエルマ
1972年生まれ。オランダのホテルスクール卒業後、国外で経験を重ねる。オランダに戻った20代半ばからシェフとして活躍。2002年にソムリエのキム・ベルドマン氏とともに「デ・リースト」をオープン。6ヶ月後に1つ星、2007年に二つ星、2013年に三つ星を獲得。デ・リーストは2019年に閉じ、現在はレストランのプロデュースや世界各国のイベントで活躍する。

SMAAK スマーク
神奈川県横浜市中区北仲通5-57-2 横浜北仲ノット 46階
045-323-9576
https://smaak.jp

text:柴田泉 Izumi Shibata photo, coordinate:江藤詩文 Shifumy

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