名店にはさまざまな特徴があるが、「優秀な弟子を輩出している」もその一つ。この連載では「ある店」から卒業後に活躍しているシェフたちに毎回インタビューする。初回から第4回までは、「コートドール」出身の4名のシェフが登場。今回は東京・麻布台で「レストラン パトゥ」を営む山口義照さんに話を聞いた。
〜コートドールについて〜
東京・三田にあるフランス料理店。1986年オープン、今年で36年目を迎える。オーナーシェフの斉須政雄氏が作るシンプルかつ温もりのある料理で知られ、また、氏の料理人としてのまっすぐな生き方は料理業界内外から広く、深く尊敬を集める。
——山口さんは、コートドールでは何年から働いていましたか?
1991年からです。
——どのようにしてコートドールで働くようになったのですか?
専門学校を卒業後、神戸のフランス料理店「レストラン コムシノワ」で4年半働いたのですが、次の店として働きたいと思ったのがコートドールでした。さまざまなレストランを食べ歩きする中で、斉須シェフの料理にいちばん感動したからです。
斉須シェフの料理は見た目の華やかさや飾りはありません。本当に必要な素材だけ使う、極限までシンプルに削ぎ落とされた料理です。自分にとっては、そのストレートな料理が圧倒的においしく感じられました。
なので、当時のコムシノワの荘司索シェフから「どこに行きたい?」と聞かれた時はコートドール、と即答。そうしたら、荘司シェフと斉須シェフが古くからの知り合いだった関係で紹介してくださったんです。
とはいえ、その時は東京のコートドールのスタッフはいっぱいだったので、まずは、ちょうど立ち上げの時期だった札幌のコートドールで働きました。1年ほどして、三田のコートドールに空きができたので移った、という経緯です。
——三田のコートドールには何年間ほどいたのでしょうか。
2年半ほどで、短かったんです。
——どのようなポジションを経験しましたか?
それが、入ってすぐはパティスリーや魚をさばく一番下の担当だったのですが、半年ほどでストーブ前、つまりシェフの横で肉や魚の火入れ全般を担当するポジションになっていました。
——非常に早いステップアップですね!
そうなんです。たまたま私が入ってからの半年が、先輩の方々が次々と店を出るタイミングだったんです。なので、それまで一番下だったのに、状況がどんどん変わって、ある日シェフが「山口くん、ストーブ前やってみるか?」と言ってくださった。ストーブ前に行くには、本来だったら前菜の担当を経るものなのですが、そこを通り越してのこと。びっくりしたけれど「はい!」と即答しました。
というのも、シェフに「できません」とは言えないでしょう? ハッタリでも「できる」と言いたい(笑)。今考えると、完全に若さゆえの勢いですね。24、25歳くらいの時でした。
また、「ストーブ前まで行くにはすごく時間がかかるんだろうな」と思っていたので、不安というよりは「ラッキー!」という気持ちもありました。
——では、あまり叱られることもなく順調に……
まさか! ものすごく叱られましたよ。「もしかしたら、嫌われてるんじゃないか?」って思うくらい(笑)。
料理や素材への扱いに関して、シェフは非常に厳しい人で、僕たちのはるか上をゆく細やかさでものごとを見ているんですね。「素材はしゃべらない。だからといって適当に扱ったらだめだよ」と常に言っていました。少しでも素材や道具をぞんざいに扱ったら、シェフは絶対に見逃さず、厳しく注意します。
こんなことがありました。営業中、僕がフライパンで肉を焼いていた時、ストーブ台の丸い蓋 ——その下に火口があるのですが—— から少しだけフライパンがずれていたんです。そうしたら「ダメだよ!」ときつい声が。「気持ちがずれているんだよ!」と。
それは、まったくその通りなのです。肉をふっくらジューシーに焼き上げようとすれば、本当に注意深く、素材に寄り添った火入れが必要。なので、フライパンがずれているなんてことはあってはいけないのです。
——斉須シェフの指摘はいつでも鋭く、厳しい。
本当にそうでした。でも、同時に、とてもやさしい方でもあります。たとえば、「今日は本当においしかった」とご満足くださったお客さまが、食後に「厨房を見せてほしい」と来られることがよくあったのですが、その時は「今日の肉はこの人が焼きました」と、必ず僕を紹介してくれていたんです。「シェフだから」といばらない。こんなに裏表のない方はいないのでは、と思いました。
——コートドールからは、どのように卒業しましたか。
コートドールに入る前から、いつかはフランスに行きたいと思っていて、フランス語の勉強を続けていました。また、コートドールではフランスからの上質な輸入食材を多く使っていて、そうした素材に触れているうちに「これらのすばらしい食材を本場で見てみたい!」という気持ちがどんどん大きくなったのです。
あと、ストーブ前を2年間担当させていただいて、少しだけ気持ちに余裕が出てきたのも大きかったです。このままだとぬくぬくしてしまう。再び厳しくてヒリヒリする環境に身を置きたい。当時27歳くらいだったので、30歳までにはフランスである程度の経験を重ねていたいという思いもありました。
斉須シェフは、次のステップに進む人を引き止めることはありません。むしろシェフ以外の人から「今行く必要があるの?」と考え直すよう言われましたが、決意は固かったので、このタイミングで卒業することにしました。
——コートドールで学んだ事柄で、特に印象的なものは何でしょう?
なんといっても、料理以前の、人としてのあり方を学んだのが大きかったです。店に入った時に「自分の意識を根っこから変えなければいけない!」と驚いたのを覚えています。
たとえば、冷蔵庫を閉める時、どんなに忙しくても最後までゆっくり、やさしく閉めるように言われました。こんなこと、それまで考えたこともありませんでした。日々忙しいレストランの調理場ではスピードが重視されるので、動きは乱暴になりがちです。でも、静かに閉めるというのは、結局は「人として、普段からどうあるか」という問題に行き着くのです。
どういうことかというと、これは後から考えて気づいたことなのですが、冷蔵庫は静かに閉めたほうが扉が長持ちするし、バンバン閉めたらその場にいる人たちが不快に思うかもしれない。シェフはそこまでは言いませんよ? でも、そこまで冷蔵庫のこと、人のことを大切に思っているのです。
このような意識でいると、料理や調理もより深く考えることができるようになるはずです。全部がつながっているんです。先ほど話した「素材はしゃべらないからといって、適当に扱ったらダメ」という話も、フライパンが少しでもずれていたらダメという話も同じです。掃除も然りで、絶対に手を抜かない。「妥協せずに、いろいろと考えてやりなさいよ」ということを、直接は言わずに教えてくれました。
——コートドールで過ごした2年半は、山口さんにとってどのような日々でしたか。
2年半でしたが、本当に濃厚な日々でした。がむしゃらでしたし、とにかく濃くて深い。自分の中では5〜6年間いた感覚です。
僕がコートドールにいたのは1991年からで、お店のオープンから5年経ち、ちょうど斉須シェフがオーナーシェフになられた時期でした。そうした「さあやるぞ!」という時期に働くことができたのは、非常に貴重な体験をさせていただいたと思っています。
今でもたまに、ランチ後の落ち着いた時間を見計らってコートドールに遊びに行きます。厨房を覗いて、雰囲気が僕がいた頃に比べるとずいぶんと和気藹々としているのでびっくりしたりして(笑)。でも、やはり大切なものは引き継がれている。そうした空気を感じることができるのは嬉しいものです。
山口義照 やまぐち よしてる
1967年香川県出身。調理師学校卒業後、「レストラン コムシノワ」(神戸)、札幌「コートドール」で働いたのち、1991年から2年半にわたり東京・三田の「コートドール」に在籍。その後フランスで4年間働き帰国。神戸市中央卸売市場で1年間勤務ののち、1999年、神戸に「レストラン パトゥ」を独立開業。神戸市内での移転を経て、2020年8月に東京に移転する。
レストラン パトゥ
東京都港区麻布台3-4-14
TEL 03-6807-4820
18:00~20:00LO
ランチは土日のみで12:00~13:00LO
水休
text:柴田 泉
神奈川県出身。食の専門出版社「柴田書店」にて、プロの料理人向けの専門誌『月刊専門料理』編集長を務める。独立後は食やレストランのジャンルを中心とするフリーライター・編集者として活動。