ロンドンの古き良き歓楽の街、ソーホーにまた、新たな伝説を生み出しそうなイタリア料理店が誕生した。土地の歴史や地元の人々に敬意を表し、注意深くノスタルジーと洗練を再現したそこは、きっと21世紀の金字塔になる。
「してやられた」というのが、正直な感想だ。レストラン事業家なら誰もが夢見る「完成形」がそこにあった。新しいのに、すでに老舗の風格を漂わせている。今年2月にロンドンの歓楽街ソーホーに誕生したイタリア・レストラン「Osteria Vibrato(オステリア・ビブラート)」は、業界人なら軽く嫉妬してしまうような店なのだ。
レストランの「完成形」?それは「何も足さず、何も引かず」そうあるべくして、そうある形。あなたの周りにも、一軒くらいそんなレストランがあるのではないだろうか。
オステリア・ビブラートは、まずソーホーという場所に完全にフィットしている。もう30年はそこにあろうかという貫禄。だいたいソーホーには「ソーホーの流儀」というものがあり、古びているがどこかしら洒落たところがあり、一癖あるオーナー、風変わりな常連が良しとされる。ちょっと周囲を見渡すだけで「フレンチ・ハウス」「バー・イタリア」「メゾン・バトー」など通好みの老舗が並んでいるが、共通しているのはそれらを総合した独特のノスタルジー感かもしれない。
もう一つ。ソーホーは昔からイタリア系移民が幅を利かせてきた土地であり、昔の流儀を守るイタリア料理店も多い。オステリア・ビブラートのメニューや華美に走らない内装は、間違いなくそういった「ソーホーの古典イタリアン」の延長にあるものだ。
店のオーナー、チャーリー・メラーさんは、こういったソーホーの流儀を汲んで、さらに個性を磨き上げ、完成された店を立ち上げた。

この店が生まれた背景を少し説明しよう。東ロンドンの一画に、かつてカルト的な人気を誇ったレストラン「The Laughing Heart(ラッフィング・ハート)」があった。何軒もの通好みの店でマネージャーとして目を養ったチャーリー・メラーさんが、ちょうど10年前、30歳で立ち上げたワインの旨い店だ。
最盛期は午前2時まで営業、キッチンも深夜まで稼働というロンドンでは珍しいレストランでもあり、飲食業界で働く人々が仕事帰りに遊びにくる「業界の溜まり場」のような性質も帯び妖しい夜が連日続いた。地下を改装し、DJナイトで盛り上がろうとした途端にパンデミックになり、結局2022年にクローズすることになった。
この東ロンドンのカルト店を、コンセプトを変え中心部に持ってきたのが、オステリア・ビブラートだ。ただし20世紀の酔いどれ詩人ブコウスキーが個人の自由について謳った詩篇から店名を得た青春の「ラッフィング・ハート」は終わりを告げ、図らずもソーホーという、より成熟した土地へ挑むことになったのである。



メニューは「古典イタリアン」と言っても現代的な仕掛けはたっぷりある。例えば北部の国境地帯から南のシチリアまで、イタリア各地の多様な食文化を取り入れる中で、デザートも含めあらゆる皿にさまざまな特選オリーブ・オイルを彩りよく合わせていく。
今回いただいた前菜盛り合わせでは、イワシのベッカフィーコ、赤海老、熟成リコッタ・チーズ、バッカラ・マンテカートなど、職人技が光る宝石のような品々が一つプレートの上で美しいハーモニーを奏でていた。
うっとりするような白いリコッタには鮮やかな萌黄色をしたアッカデミア・オレアーリアのオイルを、赤海老にはシトラス風味のスッキリとしたシチリア産ノチェラーラ種オイルを。互いの良さが引き立てられ、まるで伸びやかなカンツォーネの響きに触れているようにも感じるから不思議だ。
よりエレガントなメロディを奏でていたのは、ロンバルディア名物、24ヵ月熟成パルミジャーノ・レッジャーノを使った白リゾット。こちらは『にがい米』に引っかけシルヴァーナ・マンガーノのような豊満な魅力……と言いたいところだが、実際は上品な芳香と旨みがクリーミーに溶け合うヴェルディ『椿姫』のような味わい。
締めくくりは注文を受けてから焼き上げる、しっとり温かなアマレッティで決まり。エスプレッソとともに口に運べば、フェリーニの『甘い生活』を彩った洒落た主題歌が聴こえてきそうではないか。


つい音楽を喩えに使ってしまうのは、店名の「ビブラート」に敬意を表して。オーナーのチャーリーさん自身がテノール歌手としてキャリアをスタートさせたこと、大衆音楽と縁が深いソーホーという土地の両方にちなんだ命名だそうだ。
店の奥にはアップライト・ピアノが設置されており、近所にある老舗ジャズ・クラブ、ロニー・スコッツに出入りしているピアニストたちが突然、鍵盤を叩き出す夜もあるそうだ。まるでアナログ時代の最盛期のように。
旨いイタリアンにワイン、白いテーブルクロスにキャンドル。粋な音楽に気取らないバーテンダー、ときどき冷えたマティーニも。ここには古き良きソーホーを楽しむための全てがある。アナログが現代の流行りなら、未来は昔を向いている。オステリア・ビブラートが試そうとしているのはつまり、そう言うことなのかもしれない。
Osteria Vibrato
https://osteriavibrato.co.uk
text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni
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