令和3年4月から「おいしい未来へ やまなし」をキャッチフレーズに農畜水産物の情報発信を行ってきた山梨県は、県産品のブランド力強化のために、美食顧問を設置。令和5年3月17日に「鮨さいとう」の店主、齋藤孝司氏に第1号を委嘱した。
「鮨さいとう」はミシュランガイド東京の2010年版から19年版まで10年連続で三つ星を獲得し、現在は一般予約不可の会員制で対象外となった名店だ。
長崎幸太郎山梨県知事は、「美食」は県の主力、主要政策であり、「美食を目的とした誘客促進」を目指しているという。富山、石川は事例としてもよく名前を聞くし、「レストランに食べに行くのにわざわざ飛行機に乗っていく」ということはつまり、「美食」にはそれだけの力があることの証左だと語ってくれた。さらに日本はもとより全世界の自治体のトップにお国自慢を聞けば、決まって「食べ物がおいしい」から始まる、とも話してくれた。山梨県は食材のバラエティがある、海はないけど魚もある、まだまだ開拓も進めるし、そういったポテンシャルを顕在化させて自慢のタネにし、多くの人に訪れてもらうことで、地域の生産者や販売者、もちろんレストランが潤って、「美食」を軸とした経済圏が形成されることを目標として見すえている。
そしてその目標への第一歩が、今回の美食顧問の設置と齋藤氏への委嘱となる。鮨=海産物と言っても過言ではないのになぜ山梨が?というような先入観を持たれがちだが、本当に期待されているのは養殖魚や川魚を鮨に活用する、などということでは決してない。長年にわたり磨き上げられてきた食材に対する齋藤氏の深い造詣、その感覚に知事も信頼を寄せており、山梨県が誇る数々の食材への厳しい目でのアドバイスにこそ期待がかけられている。さらに、長年にわたってミシュランガイドの三つ星を維持してきた中での、鮨店の枠にとどまらない多様なネットワークを活かし、料理人をはじめとする多くのプロフェッショナルたちに山梨の食材を見てもらうためのハブのような存在にもなり得るだろう。
一方の斎藤氏は、これまでも長い先のことを見すえて食材の選定、仕入れを行ってきたが、国産の食材の調達がどんどん難しくなっていることに強い懸念を抱いているという。日本食の海外での人気の高まりに伴って価格も高騰し、競争に買い負けてしまうことで貴重な国産食材が流出している。さらに資源の枯渇にも歯止めがかからず、もはやお金を出せば手に入る、という状況でさえもなくなってきているのが実情だ。
そうした中で斎藤氏も、養殖の魚を自分の店で使うなんてかつては思いもよらないことだったが、資源の保護、保全の観点などからも利用を検討していく必要があり、山梨県に限らずクォリティも実際に上がっている、と考えている。こうした顧問としての仕事は齋藤氏にとっては初めてのことだが、発信力を活かすと同時に、自分自身も勉強したい、と語ってくれた。
海なし県の山梨と鮨職人という一見すると異色のタッグだが、もはや従来の常識では対処しきれないほど、地方の一次産業の経済状況や資源を巡る環境は逼迫しているのかもしれない。
山梨県では、日本最大級の若手料理人のコンペティション、RED U-35で2021年にグランプリを受賞した堀内浩平氏が、22年4月より地元に戻り独立、開業の準備を進めてもいる。こうした斎藤氏のような食材を県外に発信する取組と、堀内氏のような人を県内に呼び込む取組が両輪となり、ローカルガストロノミーの成功事例として各県のお手本となることで、日本各地の問題の解決につながることを期待したい。
text:小林乙彦(料理王国編集部)